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ポクポク木魚 no.34 晩上好

 法然上人(1133―1212)が浄土宗を開かれてから、八百年あまり。でも、お釈迦様の時代(BC5ごろ)から法然上人の時代まで一千五百年以上の時が過ぎている事になります。古代インド仏教の時代にすでに、阿弥陀仏信仰が成立していました。その間、浄土三部経など経典が、中央アジアの砂漠地帯を経て、随・唐代中国にもたらされて信仰が広まっていきます。
 慧遠(334―416)、道釈(562―645)、善導(613―681)らが、代表的な浄土教を広めた僧でした。その慧遠が、よりどころを求めたお寺東林寺(江西省廬山)に行ってきました。
 もう中国行きは十回目となりました。最初はまだ鄧小平の南方講話(資本主義経済スタートの号砲みたいなもの)前、一九八五年でした。三十七年も前の話しです。行くたびに中国は大変貌を遂げていました。行くたびに、自分が浦島太郎状態担っているのが分かってきました。日本が戦後からわずか三十年で、近代資本主義社会を作り、今や後期資本主義に落ちぶれ気味なのに対し、まぁ中国は元気なこと。政治体制は別にして、経済的側面だけではわずか二十年で経済骨格を作ってしまった感じがします。
 中国滞在合計六ヶ月以上の私は、中国人は嫌いでした。横柄な態度、町ゆく人々の声高さ。一つ一つ上げたらきりがないのですが、今回の訪問で初めて「晩上好(ワンシャンハオ)=今晩わ」のあいさつを普通の中国人がするのを体験し、驚天動地の体験でした(それまでの一般的中国人は、あいさつどころかありがとうのひと言も聞いたところがなかったのでした、それもまぁ90年代まででしたが……)。「造反有理」がスローガンだった「文革を知らない子供たち♪」が、中国の第一線で活躍しているのだからそうかもしれません。あと二十年以内に一人あたりGDPも中国に抜かれる可能性が高い今日、きらいとばっかり言っていられません。
 東林寺は、世界史上でも出てくる白蓮教徒の乱の根拠地でもあったぐらいで、伝統あるお寺でした。それよりも、もっと驚いたのは、寺に掲示されていた寺の社会貢献活動でした。社会福祉がまだまだな中国で、孤児院、被災地支援などの活動を、あの宗教活動に非常に制限がある中国でやっている、このことにまずおどろきました。そして、もう一つ、巨大な別院が建設されていたのです。高さ四十メートルという巨大な阿弥陀如来像を小高い山の頂上に作り、その裾野に、何棟もの寺院伽藍を建設中だったのです。建設規模として東京ドームの数倍の広さがあったのではないでしょうか。
 中国、特に南部では、仏教再興の運動が盛んになっているという話は前に聞いたことがありました。目の前に巨大な仏像、伽藍が広がるのを見て、仏教復興を確信しました。衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、拝金主義ばかりが、人生ではないと気付いた人々が増えたのでしょうか。仏教の信仰に舞い戻る中国に驚くばかりの旅でした(住職独白)

| ポクポク木魚 | 12:16 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚No.33 「住職」って?

 「住職」とはよく言ったもので、「住むのが仕事(職)」という意味になります。人の死はいつも突然です。住職が寺にいないと、なにも始まりません。枕経に始まって、通夜、葬儀、そしてお寺での三日参り、突然、それはやって来ます。常になにがしかのスケジュールを空けておかないと、葬儀は出来ないことになります。うちのお寺で月に二回から五,六回の葬儀があります。そのためにもお寺に常にいるというのが、住職なのでしょう(もっとも、住職という言葉の歴史的な意味は、「住持」つまり、仏の教えを持つという言葉が、住持職となり、住職となったそうですが、それはまぁそれとして)  筆者は、これまでNGOのお仕事で海外へたびたび往復し、浄土宗の任務などで、月に何度も寺を開けていました。講演も月に何度も入れていました。それも、父である老僧が、お寺のお仕事を代わりにやってくれて、「住職」ならぬ「飛び職?」が出来ていたわけです。ただ、父も八十八歳、決して若くはありません。長男は、やっとこの夏、四回にわたる僧侶の研修を終え、十二月に加行(けぎょう)と呼ばれる厳しい修行に入ります。それで、やっと一人前の僧侶として認められると言うことですが、今は佐賀市内の高校で世界史の講師として、毎日学校に通う身で、まだまだ、お寺のお仕事を任せるわけには行きません。  やっと「住職」の境地になったのかなと思うこの頃です。つまり、いつ、檀家さんからご葬儀の依頼があっても、ちゃんと対応できるようになったのかなと。  若いころは、なんで漢文を棒読みするお経を、葬儀や法事によまなくてはならないのか、と悩んだことがありました。この頃、葬儀を執行して思うのは、人の死が厳粛であればあるほど、その別れの儀礼も厳粛であるべきだということです。八十年なり九十年なり生きてきた証として、子や孫、そして知人(高齢化で知人の出席が難しくなったという事実はありますが)が、一堂に集い、手を合わせる、そんな葬儀の必要性を、ひしひしと感じています。また、葬儀は、無くなった方だけのためではなく、遺族の死者への別れ、「死」を受け入れる儀式だとも思っています。  「無縁死」という言葉が流行しています。だれも、死を看取る人がいない人々の存在、生涯未婚率の高さ(現在三十代後半男性で四分の一が未婚です)、離婚率の高さ(三組に一組は離婚しています)などから、無縁死は発生します。でも、筆者としては、縁無き死に際しても、堂々と葬儀を執行したいなと思います。葬と墓の生前契約である専称寺の永代供養墓「菩提樹陵」は、そのためにも存在します。  いずれ増え続けるであろう「無縁死」は別として、葬儀を日常的に主宰して、思うのは家族の大切さです。家族の縁は、切っても切れない存在です。親と子がたとえ別居しようとも、家族は家族です。半ば崩壊しつつある伝統的家族を新しい時代にあった家族として、私たちは創る義務もあるような気がします(住職独白)

| ポクポク木魚 | 11:01 AM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚No.32 不安性障害

 お恥ずかしいことですが、六月ひと月、とある神経症で、近くの病院に入院しました。ひと月の療養で、退院して今は元気で、お寺のお仕事に精を出しています。
 これまで、一週間以上の入院経験もなく、健康で過ごしてきたのですが、入院当初、二~三か月の入院加療の必要があると聞いて目の前が真っ暗になりました。八十八歳になる父にお寺のお仕事をすべて任せられるのか……さまざまな問題が頭を巡りました。家族の理解もあって、入院を決断しました
 当初鬱(うつ)病の疑いで、入院したのですが、ありがたいことに、「うつ」ではありませんでした(まぁ、うつ病も十人に三人はかかる風邪のようなものですが……)正式な病名は、「不安性障害」と「アルコール性障害」。要するに酒の飲み過ぎですな。
 鬱病の疑いで、入院したもので、ベルトや靴紐など長いものはすべて没収され(鬱の場合、自殺の可能性があるので)、閉鎖病棟(要するに看護婦さんに鍵を開けてもらわなくては外に出ることは出来ない病棟)に入院しました。悲しかったですね。
 長年、寝酒の習慣を持つ人が、急にお酒をやめると、幻想や幻覚が出る「譫妄(えんもう)」と言う症状が出るかも……、と医者に驚かされましたが、嬉しいことにそんな症状もなく、一ヶ月の断酒に、たばこも一日十本までの制限。規則正しい食事と投薬で、元気になって退院しました。
 考えてみると、療養生活って、全くのストレスレス状態ですね。仕事の電話もなく、人間関係で悩むこともなく、ストレスが全くない状態。入院当初は、かなり反発はありましたが、なれてしまえば極楽のようなもの。好きな小説でも日がな読んで過ごし、一日三回、しっかりとお経を読んでいました。
 慣れてくると、病棟の人間模様が少しずつ分かってくるものです。統合失調症という、人によっては回復が難しい病気で、三十年以上、その病院に入院している人、なんにもストレスもなく幸福そのものだったのに鬱病が表面化して入院している人、病気の「差別」もあって、父親の通夜・葬儀にも出ることが、親戚から禁じられて、鍵のかかった入り口でずっと待っている人、いろんな人間模様が、見えてきました。
 私自身は、この入院を、仏さまからいただいた休暇ととらえようとしました。多久に帰ってきて三十年、平均寿命の八十五歳まで三十年、ちょうど折り返し点のひと月で、来し方行く末をゆっくり考えていく良いきっかけとなったと思っています。
 ちょうど佐賀新聞に論壇を連載していることもあって、「人の死」とは何かとか、「家族の死とは」とか、あれこれ、考えていましたし、また、やっと、長男が僧侶の資格を年末に取るようになったので、専称寺の行く末なども考えていました。
 まぁこれまで仕事のしすぎもあったので、ゆっくり出来る範囲でお寺のことを中心にやっていこうと思っている次第です。今後ともよろしくお願いします(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:52 AM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 NO31 イスラエル・パレスティナ

 前にもここに書きましたが、浄土宗平和協会の事務局長のお仕事をしています。お寺から会費や寄付をいただいて、留学生に書籍をプレゼントするブックギフトという活動や、世界で活躍するNGOに資金を提供することなどをしている団体です。その活動として、スラエル・パレスチナに行ってきました。
 イスラエルの都市エルサレム、いうまでもなくイエスキリストが、磔(はりつけ)にあい、そして復活した場所です。それだけではありません。わずか一キロ四方に満たない城壁で囲まれた旧市街は、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教の聖地が存在します。「嘆きの壁」(写真)では、ユダヤ教徒が一心に何かを壁に向かって訴え、すぐ向こうの「岩のドーム」では、イスラム教徒が敬虔な祈りを捧げていました。イエスが最後の晩餐をした場所、ユダの裏切りで死刑を宣告され十字架に磔になり歩いた「ピア・ドロローサ」もすぐ近くにあります。イエスの歩いた道を、賛美歌を称えながら涙を流して歩くキリスト教徒も大勢見ました。宗教に充ち満ちていました。信仰の凄みを肌で実感しました。
 パレスチナは、イスラム教徒の土地です。イスラエルが建国されたために、難民となった人がたくさんいらっしゃいます。そこで活動するNGOの活動を視察しました。現在イスラエル政府によってすすめられているのが、「分離壁」(写真)と呼ばれる土地分離政策です。東西対立のベルリンの壁は崩壊しましたが、ここでは数千キロにわたって見上げるような高い人種差別の壁が、建設されていました。現在も、パレスチナ自治政府とイスラエルとの間で、テロや部分的な戦争が繰り返されています。民族・宗教の違いで、こうも人間は非情になれるのだと感じました。ただ、難民になって五十年以上経つキャンプを訪れて、食事をいただいたのですが、パレスチナの人々の笑顔に救われました。
 わずかな字数で、なかなか表現できないのですが、宗教に満ちた土地を歩いてみて、私自身もっと信仰に誠実であろうと、考えてしまいました。
(住職独白)

| ポクポク木魚 | 09:00 AM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚No.30 三月に「てらおん」

ポクポク木魚

三月に「てらおん」

 MOYAiの57号にも書きましたが、ことし十一月の多久ミュージカルカンパニーによるミュージカル「とうげのおりゅう」は大成功でした(写真)。脚本、音楽ともオリジナル、出演は市内のみなさまへ公募というスタイルで果たしてどうなるかと心配の毎日でしたが、なんと、二回公園で二回とも会場の多久市中央公民館大ホール(定員五五〇人)が、満員になる大盛況。涙を流す観客も多く見られるなど、出演者、観客ともども会場全体が感動の渦でした。お手伝いをした私も、ウルウル状態で、もしこの文章を読んでらっしゃる方で、入場された方には紙面を借りて御礼申し上げます。この勢いで、来年も昭に講演をする予定ですでに、企画会議を始めております。

 そのミュージカルの音楽を担当したシンガーソングライターの弓削田健介さん(佐賀市)、比留間光悦さん(福岡市)を迎えて、来年三月五日(土曜日)午後六時から、専称寺で定例になっている音楽会「第三回むらおん」を、今回はギャラリー三蔵堂ではなく、本堂で大規模に開こうという計画が立ち上がりました。お寺の音楽会という意味で「てらおん」ですね。

 お寺はかつて、単なる宗教施設ではなく、芸能、文化、学問の中心地でした。東京・浅草の浅草寺、長野の善光寺、大阪の法善寺など、お寺を中心に市街地ができた例など全国各地にあります。また、「寺子屋」などという言葉が残っているように、駒澤大学、名古屋の東海学園など寺子屋から出発した大学・高校も全国至る所ににあります。また病院、福祉施設も同様です。「寺銭」という言葉は、賭け事の場所代という意味ですが、江戸時代は、お寺を中心とした繁華街で、ばくち場も開設されたのでしょう。様々な文化、経済の情報がお寺から発信された時代が長く続いたものでした。

 そんな意味も含めて、専称寺では現在、住職もスタッフとして参加する生涯学習ボランティア団体「ゆい工房」による様々な学習教室が、ギャラリー三蔵堂で開かれて、一般市民の方々がお寺の環境が「学びの場」となっています。

 今回の「てらおん」もその意味で、専称寺本堂のご本尊の前で、ミュージカルで歌われたナンバーも含め、一時間半の崑佐アートを開催、お寺を地域の文化情報の発信地とする予定です。是非、聞きに来ていただければと思います。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:55 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚No.29 お葬式なんて要らない??

ポクポク木魚

お葬式なんて要らない??

 宗教学者島田裕巳さんの新書「お葬式は、要らない」(幻冬舎)が売れているそうですね。ボクも読んでみました。そうかなぁ、お葬式は要らないのかなぁ……。幻冬舎らしいセンセーショナルなタイトルで驚かされるけど、実はこの本、ちゃんとした野辺の送り(お葬式)をしなさいといっているようにもとれる内容でした。島田さんとは、ある雑誌のインタビュアーとして、二度ほどお目にかかったことがあります。また大学の友人の高校の同級生というご縁で、共通の知人もいるみたいですが。

 さて、現代のお葬式、ボクも少しは変わった方がいいと思っている一人です。難しいことですが、亡くなった人に向かって、作法とおりのお経をあげてハイおしまいでは、遺族の方々の悲しみも、決して癒えることはないと思います。亡くなった方の数十年の人生をどう顕彰するか、それがお葬式の要素でもあると思います。あまりにがっちりとしたお葬式の作法や、遺族の方のかたち通りにお願いしますという意向でで、ボクもなかなか新しいかたちを模索できなくて、悲しいのですが……。いつかは、生前から葬式はこうすると話し合ってみて、遺族もまたご本人も満足する(??)葬儀をしてみたいと思います。

 あと島田さんが指摘しているのは、戒名のことですね。お葬式ではじめて、戒名をおつけして、仏道に精進した証とするのもやはりちょっと無理があるなぁと昔から思っています。でも専称寺では、生きているうちに修行をして戒名をお授けする儀式を戦前からずっと執り行っているのをご存じですか。「五重相伝」(ごじゅうそうでん)という十年に一度ほど専称寺で開催している大法要です。

 この法要は、五日間、お寺に朝八時から夕五時まで毎日、法話を聞き、一日五回法要に連なり、お念仏を何度も何度もお唱えして、仏教の初歩、法然上人の教えを聞く修行の場です。まぁお手伝いの僧侶も十人以上で、入行のみなさまのお世話をし、食事の時も「食作法」という言葉を唱和し、南無阿弥陀仏を十遍となえてからやっと食事という、現代人にはちょっと窮屈な儀式です。でもそんな大変な修行をするからこそ、仏道に励んだという証になるのです。五日間の修行を終えて、最後に「伝巻」という巻物をいただき、そこに「○譽○○」という名が書いてあります。それが、その方の戒名です。生きているうちに修行してはじめて、戒名をいただく、それが「正しい」あり方なのです。忙しい現代人には、すこしハードルが高いのですが、リタイアしてから、お寺に五日間こもって、戒名をいただくのも、自らの「最期」を予期し、準備するという意味で、とてもすばらしいと思うのですがいかがでしょう。

 次回の「五重相伝」は平成二十六年、四年後の予定です。案内を差し上げますので、ぜひトライしてみてください(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:54 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚no 28 多久で ミュージカルをするぞ!

ポクポク木魚no 28

多久で
ミュージカルをするぞ!

 

 多久で、全編オリジナルの「ミュージカルをやるぜっ」という話が進行中です。オリジナル脚本、オリジナル曲、出演者も公募でという本格舞台です。専称寺のギャラリー三蔵堂で、制作会議を重ねています。スタッフの一員として参加しておりますが、多久の田舎でこんなミュージカルの制作ができるとは、ワクワクドキドキの日々です。十一月の公演にご期待ください。

 制作主体は、多久で生涯学習を担うボランティア団体「多久市民大学ゆい工房」。多久中央公民館長を務める川内丸信吾さんを中心に「ゆい工房」のスタッフが総務部門として、活動を始めました。

 ひと言でミュージカルの制作といっても、脚本、演出、ダンス、音楽、照明、音響、大道具、小道具、衣装などなど、さまざまな要素を一つに統合しなくてはなりません。それに、出演者が集まってくれるか、それにチケット販売ができるのだろうか、予算管理はどうするか、難問山積でした。わずか人口二万人ちょっとの多久市でできるとは思ってもみなかったのです。

 総合プロデュースに、アメリカで演劇方法論を学んだ多久在住の青柳達也さん、作曲・音楽プロデュースは佐賀市で音楽活動をしている弓削田健介さん、ダンス指導、舞台美術指導も佐賀市で演劇活動をしているスタッフがそろいました。歌唱指導のインストラクターには、市内の音楽教諭などボランティアで参加してくれました。

 六月には、出演者の公募を行ったところ、小学生から大人まで五十人近い応募があり、毎週週末には歌唱、ダンスの基礎訓練が始まっています。原作脚本もオリジナルで、西多久の「女山盗賊」の説話をもとに書き下ろし、タイトルも「赤い橋―峠の盗賊」と決定しました。寺のギャラリー三蔵堂に、制作スタッフが集い、会議を進めていますが、話に参加するだけでワクワク感が広がります。

 七月中には、最終脚本も曲もあがり、配役も決定して本格的な練習が始まります。公演は十一月七日多久中央公民館ホールでの二回公演。五百五十人収容のホールをいっぱいにできるか、そして何よりもみなさまと感動を共有できるか、これを読んでくださっているあなたも是非、見に来てくださいね!(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:51 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 No.27 カトリックの総本山に 行っちゃった!

ポクポク木魚


カトリックの総本山に
行っちゃった!


 キリスト教に、つまりカトリックとプロテスタントがあるのはご存じですよね。昔、世界史でルターの宗教改革という言葉を習いましたよね。ルターとかカルビンとかの人名を覚えていらっしゃいますよね。「堕落した」教会の改革で、分離したのがプロテスタント(ドイツとか北アメリカが多い)、ローマ帝国に残ったのがカトリックです。その後、西方教会諸派と分離したとはいえ、その後千年以上にわたってずっと、カトリックの本山はローマ市内にある独立国バチカンなのです。今でもスペイン、フランス、南米などラテン世界には絶大なる力を持っています。単一の宗教団体では当然世界一です。そのトップローマ教皇は、世界のキリスト者には超越的存在なのです。

 そのバチカンに縁あって行ってきました。浄土宗の平和団体「浄土宗平和協会」の事務局長を務めている関係で、まぁ「世界の宗教も一緒に仲良くしようね」「いろいろ、宗教間対立もあるし、理解を相互に深めればけんかしなくていいじゃない」みたいな趣旨のカトリックの諸宗教対話評議会に関係があって、英語がうまく、国際活動ばりばりの知人の浄土宗僧侶(なんとアメリカハーバード大学大学院卒)と一緒に、協会の一行四十人をつれてはらはらどきどきしながら行ってきました。

 疲れました。慣れぬ英語での交渉から、英文の報告書作成などなど、ローマでの三泊四日。バチカンのローマ教皇庁での、カトリック世界№2ラヨロ枢機卿謁見では、ピリピリのしっぱなし。観光などするヒマもありませんでした。でも、枢機卿ってすごいオーラがありますね。世界の宗教情報が集まり、そして絶大な信仰も集める枢機卿(えっと、ローマ教皇庁行政庁長官という肩書きでした)と、お互いの紹介に始まり、世界の宗教情勢から信仰についての会話、大変でした。イタリア語の通訳はつきましたけど。でも面白かった!。

 そしてその夜は、ローマ市郊外の山の上にあるベネディクト修道会の修道院に泊まりました。グレゴリアン聖歌を唱和する夜のミサ、早朝五時から始まる朝のミサも、すばらしいものでした。疲れ果てて眠かったけど、それでも零下の寒さのなか一生懸命世界平和を祈りました。祈りの本質は、仏教でもキリスト教でも、イスラムでも変わらないものだと思います。心の中の悲しみみたいなものを、神(仏)と共有する、そんなものだと思います。世界が平和になってくれればいいね。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:49 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 No26  和尚の冷や汗?弁明

ポクポク木魚 No26 

和尚の冷や汗?弁明

 「週刊朝日」にはこの頃、高齢社会を反映してか、臨終や看取り、お寺や法事、お墓などの特集「終活事情」という連載が掲載されています。これまで個人の信仰として、また地域や家族の共同体のなかでの習俗として、行われていたお寺のさまざまな行事も、さて、今や消費社会に取り込まれたなぁという感慨がある連載です。いやはや、お寺も「消費の対象」になってしまいましたね。お墓はどう購入するのかとか、葬儀はどう行うのかを生前から決定しておくべきという主張も記事にはありました。そんな時代なんでしょう。時代は変わりました。

 その連載で最新号(12/4号)には「こんなお寺とはつきあうな!10か条」という記事が出ていました。反省をを込めてその10か条に対し、やや冷や汗ものですが、弁明というか弁解というか、反論というか、をやってみたいなぁと思います。シャレとして読んでくださいね。
①外車や高級車を乗り回している ○弁明 日産スカイラインに乗っています。えっと高級車ではないと思いますけど……。それにまだローンが三年も。歴代住職車は十五万キロ乗って乗って乗りつぶします。

②建物や境内が整備されていない ○弁明 これには自信があります。檀家の皆さんや先代住職のおかげで、お寺もみなさまからほめられるぐらいにきれいになりました。

③坊主の評判が悪い
④家族の評判が悪い
○弁明 住職や家族の評判は、ひとえに檀家さんが決めること。今後とも先代住職、私、母、妻共々、誠心誠意お寺をもり立てていきたいと思います。

⑤お布施の額を明示しない
⑥葬儀や法事の見積もりと領収証を出さない
○弁明 都会では法事の見積もりを出す時代になったのですね。これには驚きました。お布施は、申し出があれば、領収証を出していますよ。お布施の額を聞かれれば、これまでのお布施の平均的な額を、お教えしております。

⑦護持会の会計監査がない
○弁明 専称寺には、護持会もありますし、専門の会計役員も複数の監査役員も存在し、会計はご存じの通り、監査を経て公開しております。きっぱり!

⑧寄進を押しつける
○弁明 これは、お檀家さんが押しつけられたと感じるかどうかにかかっています。これまで、説明責任は果たしたと思っていますが、いかがでしょうか。

⑨「ありがとうございます」といわない ○弁明 お布施、御寄付ともお寺のご本尊様がいただくものと理解しております。感謝の言葉を申さない訳がありません。礼も言えない坊さんが多いのかなぁ。さみしいですね。

⑩お経の説明ができない
○弁明 お経、お釈迦様の教え、法然上人の教えとも、わかりやすい言葉でお伝えしようと心がけております。いつでも聞いてくださいね。
 ふう、お答えになったでしょうか?(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:47 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 No.25  Oh my骨壺!

ポクポク木魚 25 

Oh my骨壺!


 カトリックの世界であいさつ代わりに使われる言葉として「メメント・モリ」というものがあります。ラテン語で意味は「死を想え」。日常から死について、思いを馳せておかなくてはならないという意味だと想います。解剖学者で東大名誉教授の養老孟司先生の名言に「人間の死亡率は百パーセント」というものもありました。つまり「死なない人間はいない」。

 でも現代人は、死をなにか非日常として、決して自分の身の上ではずっと先のこと、自分には関係のないことと、考えがちではないでしょうか。死を忌諱する傾向が、あるのではないでしょうか。かつて、五十年ぐらい前までは、死は日常でした。戦争で、伝染病で、周りのものが死ぬことは決して珍しことではありませんでした。

 先日、ある陶磁企画会社の社長さんの訪問を受けました。売り物は「骨壺」。自らの死後に入るであろうお骨の壺を生前から、ちゃんとそろえておくべきだというのが、社長さんの主張でした。私も全く異論はありません。明治期の有田焼を再現した色絵などの伝統的な文様が、その骨壺には描かれています(写真参照)。十数万円するそうです。

 骨壺をじっと眺めていると、なにか不思議な気持ちになってきます。死後、自らは極めて楽な世界(極楽)に行き、でもこの世で、きれいな壺にお骨が収められて……。今の私にとっては、自らの死というものを、この骨壺によって、リアルなものとして体感できる……。うーん、様々な思いが交錯しました。一時期、お寺のロビーに、このきれいな壺を置いておいたのですが、でもギョッとしますね。お骨の壺という先入観が、どうしてもわき上がってくる。私も死をどこか遠くのものとしておきたい想いから、離れられないのでしょうか。

 社長さん曰く、「生前中はワインクーラーにも使えます」。うーん、そこまでは、使えないなぁというのも私のホンネ。皆さんは、いかがでしょうか。でもお骨の壺をそろえておくのは、いいと思いますよ。お寺に見本がありますので、興味のある方は、ひと言声をかけてくださいね。専称寺割引で安く買えると社長さんは言ってましたし……。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:45 PM | comments (0) | trackback (0) |

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