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苦しみの外部委託

 介護保険の運用が始まった。「要介護」「デイ・ケア」など耳慣れない用語も、高齢者がいる家庭では日常化した。重度の痴ほう老人を抱えた家族は、介護疲れから解放され、法律の恩恵を受けた主婦も多いことだろう。「高齢者社会を迎えるにあたり、家族にのみ負担が重かった従来の高齢者介護を、社会が平等に分担する」という法の言葉は美しい。しかしちょっと待っていただきたい▼今、畳の上で臨終を迎える日本人は一割を切った。病院の集中治療室で人生の最期を迎え、遺骸は霊安室からそのまま葬儀社の車で葬祭場へ向かう。納棺、通夜、葬儀、火葬とまるでベルトコンベアに乗ったかのように、業者の手によって進行する。本来、家族によって行うべき近親者の死の看取りと儀礼が、第三者に委ねられてしまった。いわば「死」のアウトソーシング(外部委託)という事態である。介護保険は人の「老い」のいたわりでさえも、安易に外部に発注してしまう傾向を生みはしないか。「介護の社会化」というかけ声は、年老いた父母の世話という、家族の情愛によってなされる行為を無意味化しないか▼お釈迦様は「人生は苦である」という認識を教えの出発点とされた。人間という存在のそのものに由来する苦しみを「四苦」と表現された。生きることも老いることもそして病いも死もすべて苦しみなのである。老いは醜いものだ。寄り添うものにとっては悲しみも誘う。しかし、それを直視することによって、人生の実相が見えてくるのではないか、本当の勇気が生まれてくるのではないか▼老いは介護施設へ、病いは病院へ、そして死は葬祭業者へという行き過ぎた「苦のアウトソーシング」は、実は「生」そのものをおろそかにする最初の一歩のような気がする。(K)

| @Temple | 03:12 PM | comments (0) | trackback (0) |

時代は変わる

 国連の定義によると、六十五歳以上の高齢者の割合が一四%を超すと、高齢化社会から高齢社会に変わるのだそうだ。日本はすでにその割合が一七%を超えた。四人に一人が高齢者という世界一の超高齢社会にも、あとわずか二十年で到達する▼新たな四半世紀、この国のかたちは確実に変わる。戦後復興から高度成長までが青年期から壮年期だとすると、目前に控えているのは成熟期だ。成熟世代の意向を無視しては、時代が動かない、そんな社会がすぐやってくる。そういえば、近ごろのニュースは老いにかかわるものがとても多い。脳死談義をきっかけにした「死」周辺の話題に始まって、介護保険の導入、医療費の増大など▼日本最大のエンターテイメント産業に成長した芸能プロダクション吉本興業が、お寺に目を付けた。全国十万といわれるお寺に所属の芸人や笑いのノウハウを提供するという試み。仏教情報紙には「高齢社会、寺院活性化に役立てて」との見出しが躍った。中高年層が心の癒しとしてどんな笑いを欲しているのか、お寺に活動の場を持つことでリサーチし、新しい笑いのノウハウをつかみたいという吉本の戦略があるのではないか▼もとより、浄土教の伝統と芸能は、切っても切れない縁がある。何より落語の祖としてあがめられるのは、江戸初期に活躍した浄土宗の僧・安楽庵策伝(1554~1642)だ。互いに親和力はある。しかし時代はもっと先を要求している気がする▼次の時代の主調音が、老年世代から生まれる可能性を示唆しているのではないか。また「老人力」という言葉の流行が示したように、死や老いに対する負の意識が変わる確率も相当に高い。その時にはお寺空間もまた、時代の最先端の場になるということだってあり得るのだ。

| @Temple | 03:08 PM | comments (0) | trackback (0) |

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