専称寺ご案内
寺だより「MOYAi」
ギャラリー三蔵堂
オフィス三蔵堂
専称寺墓地・納骨堂「光明殿」
永代供養墓「菩提樹陵」
お寺アクセス
お問い合わせは、mail@senshoji.jp へ
専称寺トップへ

CALENDAR

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31    
<前月 2018年10月 次月>

NEW ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

PROFILE

OTHER

www.senshoji.jp

<<次の記事 前の記事>>

ろんだん佐賀 3 変わる死のかたち

 佐賀県は昨年4月、自立して暮らすことが出来る健康年齢(07年現在)を発表した。これによると県内男性が76・79歳、女性が82・06歳だ。問題は、寝たきりや認知症などで誰かに依存して暮らすことを余儀なくされる平均寿命との差である。これが、男性は1・89年、女性にいたっては4・25年もある。人生の最期をいかに過ごすか、具体的にいうと誰に世話をしてもらうか。かつて共同体として堅固であったイエ(伝統的家族)やムラ(地域共同体)の崩壊とともに、これが非常に大きな課題となっている。宗教者として死の現場に立つことも多く、そのかたちが大きく変わったことを実感する。
 死はかつて、家族とともにあった。家族の成員の老いを自宅で介護し、家族全員が、その死をイエの座敷で看取った。三世代家族が健在のころは、祖父母、父母の死に寄り添い、死を自然なものとして、学ぶことができた。死を「お迎え」と表現したように、生の延長上に死は存在した。また葬送は、長年生きてきた自宅で、ムラの相互扶助として行い、共同の墓地に埋葬された。いわば、死が家族にも村人にも共有されていた。
 前回述べたように、老いや死が家庭から放逐される生老病死のアウトソーシング(外注化)の時代、老人施設で老い、病院で死に、斎場で葬儀が行われる。昨年、厚労省が発表した人口動態統計(06年統計)によると、83・1%が、病院・診療所・保健施設で亡くなり。自宅で最期を迎えることができたものはわずか12・2%に過ぎない(自宅といっても前回詳述したように半数以上は単独世帯、二人世帯であり、こここには孤独死も含まれる)。同省の厚生白書によると、89・1%が自宅で最期を迎えたいと希望していたにもかかわらずである。現代人にとって、身近な者の死が縁遠くなり、死が自然ならざるもの、なにか異様なものとして、認識されていないだろうか。死の学びの場所がなくなって、健康幻想と相まって、死をできるなら考えたくないもの、なにか畏怖すべきものと考えていないだろうか。
 さらに大量死の時代がすぐそこまでやって来ている。厚労省の同統計では、09年の死者数は114万人あまり、それが国立社会保障・人口問題研究所の最新の推定によると、団塊の世代が80歳代になる30年には、4割増の163万人に増える。それに加えて、5人に1人が生涯独身というシングル社会も到来する。昨年1月放送されて大反響を呼んだNHKの番組「無縁社会」で公表された身元不明の行き倒れなど「無縁死」年間3万2千人という衝撃の数字も含め私たちは、死の無縁化の始まりの時代を生きているのではないか。
 死を生のなかの「異物」としないためにも、身近な者の老いや死に対し、徹底的に寄り添うべきだと切実に思う。独りで死ぬことの悲しみは死者本人が一番知っているはずだ。だからこそ、いずれ自らも通過する死を疑似体験するためにも、また家族や地域のかたちが変わろうとも、老いや死の苦しみをいたわり、家庭で共に時を過ごす努力をしなくてはならないと考える。「在宅ホスピス」など、イエで最期を看取れるインフラ作りも急務だろう。さらに、死を教える宗教的言説にも、少しは謙虚であってほしい。「死は自然なものである。死は生から断絶したものではない」。そう教える様々な宗教の教えに学ぶものが多いのではないかと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:17 AM | comments (0) | trackback (0) |

コメント

コメントする








この記事のトラックバックURL

http://senshoji.jp/senshoji/blog/tb.php/34

トラックバック

PAGE TOP ↑


Copylight(c) 2003 HOHNEN BUDDHISM SENSHOJI TEMPLE, SHUNKAI KAWASOE. All rights reserved.