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ろんだん佐賀 4 生死観の喪失と再生①

 日本人は、東日本大震災で、二万数千人という大量の死を共有した。戦後の混乱期以来の膨大な犠牲者の数である。「がんばろう日本」のかけ声とともに各地で復興へ様々なイベントが行われている。同時に、横死した犠牲者への追悼の儀式で、合掌する人々の姿が数多く見られる。この国の「死のかたち」は、三人称の死については案外と寛容である。地域共同体が崩壊しつつあるとはいえ、知人、親族の死に際し、葬儀には数多くの人が詰めかけ冥福を祈る。
 二人称の死、つまり「あなた死なないで」と呼びかけることの出来る縁者(家族)の死についてはどうだろうか。「佐賀のホスピスを進める会」(宮本祐一代表=元県立病院好生館副館長、会員96人)は、医療関係者、僧侶、主婦らからなる、好生館緩和ケア病棟(ホスピス)のボランティア団体である。毎週、ホスピスで、末期ガンなど終末期の患者さんへ傾聴ボランティアをするとともに、9年前から多久東部中で「生と死の準備教育」を、年間6回行っている。筆者も会員の一人で何度か、生徒たちとのワークショップに参加した。現代の子どもたちは、伝統的家族の縮小で、身近なもののリアルな死を経験したものが少ない。死そのものの意識が不在である。そんな子どもたちに、いかにして人生の終末を教えるか。
 「あと半年の命といわれたらどうする?」。数人の班に分け、ゲーム形式でワークショップを始め、そんな質問をする。「あと十日の命だったら?」「あと三日後に死ぬといわれたら?」。様々な答えが返ってきた。しかし、話しを繰り返しているうちに「お父さんといたい」「お母さんといたい」をいう返事が増えてくる。死に際して家族の縁、絆の発見を子どもたちは体験する。縁に結ばれて、死を迎えることの重要さに気づく。
 何度かの同会による授業の後、毎年12月には、好生館のホスピスへ中学2年生全員が訪問し、患者と交流をする。死期が近い患者へ、メッセージを添えて一生懸命作ったグリーティングカードを渡し、歌を歌ったり、お話を聞いたりする。涙を流す子どもたちも大勢いる。中学生は、この体験で目の前に命と直接向き合う人がおり、死の苦しみを自ら経験し、死のリアリティを学ぶ。同会の平川義雄事務局長(白石町大弘寺住職)は「死が観念的に過ぎなかった子どもたちが、現実として死が存在することを知り、死にたいし畏敬の念が芽生える」という。
 東日本大震災の大量の横死者の苦しみにたいし、現代日本人の他界観・生死観が試されている。生死を隔てても、縁が切れることはない。死者との縁を、人は持ち続ける。二人称の死にたいし、「ホトケ」という、極めて楽な場所(極楽)にいるもう一人の家族が増えると思うことが出来ないだろうか。我々を守ってくれる「ホトケ」が、死を超えて、存在すると、思うことが出来ないだろうか。団塊の世代が80歳代になる20年後の大量死の時代をひかえ、日本人の他界観が、「死が生と連続」するものだと信念を持ち、畏敬の念を有する宗教性を帯びることが必要だと、心から思う。
 ある僧侶は、自らも末期ガンとなり終末期の手記のなかで、ホスピスで一緒だった患者仲間から「死んだらどうなるのか」と尋ねることが多く、必死で仏教を説いたと書いている。「一人称」の死が、人間にとって、さらには宗教者にとっても究極の課題である。次回に詳述したい。

| ろんだん佐賀 | 11:26 AM | comments (0) | trackback (0) |

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