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ろんだん佐賀 5 生死観の喪失と再生②

 ある人類学者は、この国の死についての意識を、こう記した。「現代社会は、ごく近い将来自分が確実に死んでいくこおとを悟った人がいだく疎外感を解消するような、文化的な装置を失った」(『日本人の死のかたち』朝日新聞社刊)。終末期における延命治療も「死なないことよりも大切なことがない」(同書)。果たしてそうだろうか?
 この四月、乳がんで亡くなった元キャンディーズの田中好子さん(享年55歳)が、逝去するひと月前に録音された音声が、葬儀の場で流されたニュースを覚えてらっしゃる方も多いだろう。「こんにちは。田中好子です」で始まる声は、こう続いた。「必ず天国で(東日本大震災に)被災された方々のお役に立ちたいと思います。それが私の務めだと思います。妹夏目雅子のように支えて下さった皆さまに、社会に少しでも恩返しができるように、復活したいと思います」「幸せな幸せな人生でした」。かすれるような弱々しい声ながら、きっぱりと自らの死を見つめ、いわばホトケとなって、現世に還り、恩返しをすると誓っている。
 死について学ぶ死生学の創始者ともいうべきキュブラー・ロス(1926-2004)は、死に至る心の変わりようとして五つの段階「否認と隔離」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」とした。そこで受けいれられる死とは現実世界との完全な分離であった。しかし五十歳代後半になって彼女は、主として子どもたちの死の臨床に立ち会い重大な立場の変更をする。死を迎える子どもたちが、「蝶」に身を託してこの世を去る事例の多さを語り、マユ(つまり肉体)を離脱するように死に行くという(『続・死の瞬間』)。つまり死に至る最期の段階に「希望」を置いたともいわれる。人生の最期に希望を刻印する科学者たる彼女の変化は、近代の他界観の再生に大きな影響を与えたともいわれる。
 京大教授で宗教学のカール・ベッカー(1951~)は、最終的に「生死の意味を求める存在」が人なのだという。人生のラスト・ステージで人はなにものかとつながりを求め、自分なりの意味を創造しようとするという。彼は、研究の積み重ねのうえに、死後の存在を否定するだけの態度は学問としても「幼稚である」と断言する。
 終末期医療などさまざまな現代医学のタブーをつく漫画「ブラックジャックによろしく」(講談社、佐藤秀峰著)が、広範な若者に支持されている。主人公の若い研修医は、末期ガン患者を前にこう叫ぶ。「死とは一体なんですか?死とは敗北ですか? 死は絶望ですか? 死とは不幸で否定されるものでしかないのですか?」。抗ガン剤治療など医師としてぎりぎりの選択を続けながら主人公は死と共存する医療、ホスピス(ビハーラ)など終末期の死の心理的、身体的痛みを緩和するケア病棟を指向する。「生と向き合う事は死と向き合う事と同じ事ではないですか」「私たちは誰も独りなんかじゃない」。作者は主人公にこう言わせている。
 田中好子さんの事例は、古来より日本人が持っていた他界観の典型例である。つまりこの世(此岸)からあの世(彼岸)へ向かい(往相)、そして極楽世界からこの世に戻り、慈悲あふれる菩薩道を行う(還相)。中世より、カトリックの修道士はあいさつに「メメントモリ」という言葉を使う。意味は「死を想え」である。生のなかに常に死をはらみ、死を想うことの重要さに私たちは気付かなくてはならないと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:28 AM | comments (0) | trackback (0) |

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