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ろんだん佐賀 7 私の深夜特急

 作家沢木耕太郎の紀行小説に『深夜特急』がある。70年代のアジアから欧州までのバックパッキングの旅の記録である。私も、完全陸路ではないが、85年秋から一年半、アジア・欧州を妻と旅をした。自由旅行が解禁となった中国大陸をまず目指し、陸路で広州に入り、そこから中国西域を中心に、二ヶ月滞在、正月はタイのプーケットで過ごした。バンコクで、アジア各都市に降りることのできるアテネ行きのバングラデッシュ・ビーマン航空の安チケットを買って、インドに渡った。
 80年代のインドは、まだ経済発展に出遅れ、混沌としていた。あこがれの仏陀の遺跡を回りネパールに入った。トレッキングも、ポカラを起点に、アンナプルナベースキャンプまでひと月、山を歩いた。首都カトマンズで、中国チベットへ自由旅行のビザが発行されると聞きつけ、ヒッチハイクなど苦労を重ねて、ラサを訪れた。そこで、パキスタンへの国境が開いたとの情報を入手、タクラマカン砂漠の東北部をぐるっと大回りして、一ヶ月かけてパキスタンとの国境クンジェラブ峠(標高四七三〇㍍)を超えて、さらにインド、ネパールに戻った。その後、スリランカ、モルジブを経て、アテネへと飛んでトルコを経て、ロンドンに三ヶ月滞在した。欧州を観光し、最後はモスクワからシベリア鉄道でイルクーツクへ。空路で日本海側のナホトカへ飛んだ。
 イルクーツク空港でのことだ。ビエンチャン(ラオス)、プノンペン(カンボジア)、ハノイ(ベトナム)、そんな町への定期航空路が、開設されていた。ハッとした。いずれも、当時、自由な旅行が日本人には禁じられていた国々だった。
 89年の壁崩壊、91年のソビエト連邦解体で、旅行の環境がガラッと変わった。東欧、中央アジア、インドシナ三国の旅が、自由に解放された。中国も、辺境部の国境を次々に開けた。東南アジア大陸部の国々が、この二十年で一斉に国境を開放した。中国が政治的に安定し、ラオス、ベトナムへ陸のルートを開けた。ドイモイ政策に乗るベトナムはラオス、カンボジアへ。タイもまたラオス国境のメコン川に橋を架け、中国南西部辺境から東南アジアの中心都市バンコクまで一挙に人やモノ、そして情報の流通が自由化した。カンボジアも、待望のタイとの国境を一般旅行者に開け放った。半世紀以上続いた東西対立による壁が完全に崩壊した。現在、上海に降り立つと、様々な陸路のルートで、ロンドンまで行ける。
 こんな経験もあって95年の阪神大震災でボランティアをした僧侶の友人と、テラ・ネット(Terra Net)という、海外教育支援の団体を作った。お寺で募金を集め、二年間一万㌦で学校を各地に建てる活動をここ十五年ばかりしている。バングラデシュ、チベット、タイ辺境部、スリランカ南部、そしてカンボジアと、学校(寄宿舎)を建てた。こんな活動もあって、私の深夜特急の旅を含め、この25年間で九百日以上海外に滞在した。
 昨年、支援しているカンボジアの首都プノンペンにある「希望の家」を再度訪れた。日本人が個人で運営している孤児たちをあずかる施設だ。東南アジア特有のまったりとした空気が流れていた。孤児たちの元気さ、明るさが本当に嬉しい。東日本大震災では、テラ・ネットは、三度現地に入り活動した。この活動はまだまだ続きそうだ。

| ろんだん佐賀 | 11:33 AM | comments (0) | trackback (0) |

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