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ろんだん佐賀 家族と宗教

「家の宗教」のなにが悪いのだろう?前世紀の後半、この国ではひたすら「個の確立」が求められてきた。自由な主体であるこの「私」の判断が最も大切と教えられてきた。「イエ=家族」や「ムラ=地域」の論理は、近代的自我にとっては桎梏であるとされた。
 宗教の世界でも西欧キリスト教をモデルとした、個人の信仰の必要性が叫ばれた。しかしどうだろう? この世には今、肥大した自我の亡霊たちがあちらこちらに出没していないか?
 家族の絆が弱まろうとしている現代こそ、家の宗教が必要なのではないか。五十歳以上の壮年世代、老年世代の定点観測を続けている博報堂生活総合研究所「HOPE レポート」は、「カギとなる人間関係は、『家族』が一番」と報告する。中高年世代にとって「楽しみとなる関係」は順に、自分の子ども、配偶者、兄弟(姉妹)、孫と続く。家族が拡散しようとも、縮小しようとも、いやそうであるからこそ、伝統的な家庭に居場所を求める意識が強まっている。
 ただやっかいなのは、家庭での食の崩壊だ。子どもや若者に欠食、孤食が常態化した。スナック菓子の朝食、家族がそれぞれ別のコンビニ弁当を食べる夕食、こんな「異常」な食生活がはびこっているという。NHKによると家族そろって食べるはずの夕食よりも、学校での給食を「一番楽しみにしている」と答えた小学校五-六年生が四割近いのだそうだ。
 だからこそ、フォーマルな食の場が必要なのだ。お正月、お盆など年中行事の食の場、また、一周忌、三回忌など伝統仏教が大切にしてきた年忌供養もそうだ。実は、こうした供養の場は「家族の再現」の儀礼だと思う。むろん、経をとなえ、香を焚き、花を供えて亡き家族の一員を追善供養する儀式ではある。しかしそれとともに、かつて故人と一緒に、兄弟姉妹として、また親と子、夫と妻として食卓を囲んだ家族、親族が再び集い、食を共にするという意味こそ、現代社会では重要なのだ。読経、法話をおえ、御斎(おとき)の席に着き、在りし日の食卓を再現する。調理の「火」を共有することが、家族という単位の条件であるならば、定期的にホトケとともに食し合う儀礼とは、連綿と続くいのちの連なりを確認し、家族の親和性を認め合う場であり、また亡き父母の面影を追い、ホトケの前で息子は父のように、娘は母のように生きることを学ぶ場なのだ。また、見えづらくなっている家族のつながりを基礎づけしている装置が、お墓や仏壇だと思う。家族を基礎づけしているのは、宗教性ではないかと思う。
 余談だが、東日本大震災で、生涯のパートナーを得ようとする人が増えているという報道があった。都市部の女性を中心に、結婚相談所への相談が相次ぎ、王手相談所では対前年比25㌫増が続いているという。また婚約指輪の売上が、大手デパートで4割増という数字もある。来年あたりの国の調査で、婚姻率、出生率の上昇が見られるのではないかと想像する。
 未曾有の大災害で、家族の必要を若い人々が少しずつ増えているのではないか。現在三十歳の未婚女性の半分、三十五歳未満の約七割が、生涯結婚せず未婚のまま一生を終え、女性の生涯未婚率は、場合によっては二割を超すことも十分現実的だ(国立社会保障・人口問題研究所推定)というシングル社会の一定の歯止めになってくる可能性を信じたい。

| ろんだん佐賀 | 11:42 AM | comments (0) | trackback (0) |

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