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死のレッスン

 死について学ぶ市民講座を主宰した。大きな反響が帰ってきた。連続講座は会場から人があふれた。集まった人々とって「死」の問題は、とても切実なものだった。世の人々は死に関しての難問を山ほど抱えていた◆死の問題はこれまで長い間、血縁、地縁という共同性のなかで解決されてきた。多世代同居によって家族の老いの苦しみや死の不条理をわがこととして学習した。家の継承という制度で、自らの死後の居場所を確保し、凶暴だった「死」を手なずけ安らかなものにしてきた。また地域共同体は、地域の葬送を共に担うことによって、縁あって同じ空間に住む成員相互の別れを制度化した。村はずれの墓地に葬られ共に極楽に往くという共同幻想を創出した。それだけではない。家族は「おまえ死ぬなよ」「一緒に生きていこうよ」という生への共同性をも持っていたはずだ◆そんな家族や地域は今、瀕死の状態だ。伝統的家族観の崩壊が進む。少子化だけでなく、結婚しない人々が増えた。非婚化現象である。離婚率の増加、多世代同居が激減し、単独世帯が増殖している。子供たちは食事を独りで食べ(「孤食」という言葉をご存じだろうか)、老人も介護の社会化のかけ声のもと同居家族の成員であることをやめつつある。地域の疲弊はもっと激しい。かくて「死」を下支えしていた縁の連なりが毀損され、死が不可解なものとして現代人の前に放り出された◆臨済の僧一休宗純(一三九四~一四八一)は京の都にドクロを掲げて死の実相を説いた。あらためて寺は「死のレッスン」の場だと思う。寺で人は死を学び、死を悟る。葬送の場で人は血の連なりを実感し、共に祈る。人は縁に生きながらも、「独り去って独り来る」ことを悟るのだ。(K)

| @Temple | 03:31 PM | comments (0) | trackback (0) |

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