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倫理大崩壊

 現代日本人の大半は、宗教教育・道徳教育を満足に受けていない。戦後教育では道徳という科目はあっても、有名無実化した時期が長かった。道徳も宗教も公の空間である学校で教えてはいけないものだった。なぜ人を殺していけないか、戦争で人を殺すのと殺人はどう違うのか、この問いに説得力を持って答えきれる教師はどれだけいるのだろう▼ここ十五年ぐらいの倫理崩壊現象は目を覆うばかりだ。子供が子供を殺し、小学校では大量殺人、一家全員殺害もたびたび報道される。経済的な繁栄を勝ち取り、世界一の経済システムと持ち上げられてわずか十数年、世紀末日本に「倫理大崩壊」ともいうべき「こころの廃退」が静かに進行していた。マックス・ウエーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、目的の合理性のみが追求される官僚的近代社会、「脱呪術化」され「非合理」を周縁に追いやった近代社会を「鉄の檻」と形容し、強い警鐘を鳴らした。「いかに生きるべきか」「人間とは何なのか」という存在についての問い、そこから出発する宗教、信仰は非合理であり、それは「公」の領域からは追放されるべきものとされ、「私」に幽閉された。そんな公空間での近代「無宗教」の結果が、このざまではないか▼仏教が空前のブームだという(雑誌「AERA」2003.10.27朝日新聞社)。会社からは冷たくされ、依るべき共同体であったイエもムラもいつの間にか崩壊して、アメリカ流競争社会に知らず知らず変貌していた。内面の厳しさを知らず、甘えに浸っていた日本人が戦後初めて直面する存在をかけての問いに、仏教は多様なメニューを用意する▼この国のかたちと宗教の関わりももう一度、根本から考え直す時期が確かに今、到来しているのではないかと思う(K)

| @Temple | 03:32 PM | comments (0) | trackback (0) |

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