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「蝶」の往生

 ある人類学者は死を巡るこの国のかたちを「現代社会は、ごく近い将来自分が確実に死んでいくことを悟った人が抱く疎外感を解消するような、文化的な装置を失った」(『日本人の死のかたち』朝日新聞社刊)と指摘する。終末期における延命治療も「死なないことよりも大切なことがない」(同書)から続くのだという。他界観の衰弱を指摘する言説には事欠かない▼しかし本当に、現代日本人は諦めのなか成り行きまかせで不幸に死ぬのだろうか。大多数の日本人が祝福されてこの世に生まれるにもかかわらず…。キューブラー=ロス博士(1926-2004)は、死に至る心の変わりようとして五つの段階「否認と隔離」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」とした。そこで受けいれられる死とは現実世界との完全な分離であった。しかし五十歳代後半になって彼女は、主として子どもたちの死の臨床に立ち会い重大な立場の変更をする。死を迎える子どもたちが、「蝶」に身を託してこの世を去る事例の多さを語り、マユ(つまり肉体)を離脱するように死に行くという(『続・死の瞬間』)。つまり死に至る最期の段階に「希望」を置いたともいわれる。人生の最期に希望を刻印する科学者たる彼女の変化は、近代の死の観念が重大な転調を迎える象徴ではないかと思う▼私たちは戦後、近代の視点で人生を測ろうとした。生と死を考えようとしてきた。それは「智者のふるまいを」(一枚起請文)しすぎた行いではなかったか。福を呼び込もうとして飽くことなく個我を追求した果てに、究極の災いを請じ入れたのが、日本近代ではなかったか▼私たちは八百年来、「死」を「往生」と置換する巨大な歴史的装置を持っている。「はからいのない」往生を迎えることこそ、念仏信仰の核心である。(K)

| @Temple | 03:35 PM | comments (0) | trackback (0) |

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