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「生命教育」のツール

各地の定時制高校で「いのち」についての講話を続けている。たまに子どもたちの感想が、礼状と共に届くことがある。こんな文章が記されていた。「講演を聴いて『生まれるとき、赤ちゃんだけ泣いて、周りのみんなは笑っている。死ぬときは、周りのみんなが泣いて、自分ひとり笑っている。そういう風に生きなさい』といった母の言葉を思い出しました」▼何とすばらしいお母さんなんだろう、万巻の書にまさる母親の言葉なのだろうと思う。いわば偏差値敗者で、周りは不登校やリストカットに自殺未遂、そんないのちの揺らぎに直面することが多い高校に通う子どもだからこそ、こんなすごい反応をしたのだと思う▼中学校で「死の準備教育」を続けている友人に誘われて、小学五年生、中学二年生、看護学校生とともにいのちを学ぶワークショップに参加した。体育館に全員が集合し、八人程度のグループに分かれる。看護学生が司会し「今欲しいもの」「今したいこと」などをしゃべりあう。十五分ぐらいが経過して、司会役が「あと一ヶ月のいのちとお医者さんに言われたらどうする」と切り出す。ポカンとする小学生、「お金をいっぱい使う」という中学生、看護学生が自らが事故で死にそうになった体験を話し出した。ゆっくりとした時間が流れ「やはりお父さん、お母さんと居たい」と中学生が言う。生命の始めも終わりも、家族と共にあると、この中学生は実感したのかもしれない▼お葬式もお墓も実は、生命教育の見事なツール(道具)であることにお気づきだろうか。実体のある人の死に触れて初めて、子どもたちは、生の有り難さを思う。「神殺しの日本」(梅原猛)にあって、伝統的葬送儀礼や墓制が、いのちを見つめる場であり続けてほしいと思うのは筆者だけではあるまい。(K)

| @Temple | 03:42 PM | comments (0) | trackback (0) |

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