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仏壇は家族の絆である

 家の仏壇に手を合わせる。それはどんなとき? 毎朝、日々の無事を感謝して、元旦に家族全員の多幸を祈念して、さらには嫁ぐ日の朝、新生活の門出を御先祖様に報告に、大学受験の出陣式に……。仏壇は家族の歴史そのものだ、と思う▼仏壇をじっと見て欲しい。中心に阿弥陀如来の像、その下に亡き祖父母や両親ら先祖位牌、手前に花や供物、線香が並ぶ。実は世界的に見ると、この形態は非常に珍しい。キリスト教、イスラム教圏には、家庭には仏壇に類するものはない。人は祈りに教会、モスクに足を運ぶ。しかしそこにも、先祖の位牌はない。人は、花や香を介して、神やイエスと直接向かい合う。偶像崇拝を排するモスクには、もはや何もない。儒教には、先祖の依りしろとしての木主(ぼくしゅ=位牌に相当)があるだけ、インド仏教には仏像があるが逆に先祖を祀ることはしない▼欧米のキリスト教社会は、個人主義の伝統がある。個人主義が利己主義に陥らないのは、そこに神との契約があるからだ。自立、自己責任があり、その結果として自由がある。いわば放縦な自由とならないための「抑止力」としての神への信仰がある。戦後、日本社会は個人主義と家族主義のハイブリッド(混合)社会であった。家族の一人が大きな問題に逢着すると、それぞれがお互い様と助け合った。「御先祖様に申し訳ない」とのフレーズが、悪に走らぬ抑止効果をもたらした。ひるがえって現代、伝統的家族が崩壊しつつある。個人主義を通り越した利己的自我が増殖しつつある▼家族の絆を再生するために、よこしまな我執を増やさぬためには、仏壇に祈ることである。香を焚き、花をささげ、手を合わせることである。声に出して南無阿弥陀仏ととなえることである。子どもは祈る親の背中を見ているはずだ。(K)

| @Temple | 03:46 PM | comments (0) | trackback (0) |

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