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「殺してはならない」

 「エンゲージド・ブディズム Engaged Buddhism」という欧米発の考え方が、日本でも流布してきた。標準的な訳語は「社会参加する仏教」だろうか。ある研究者は、「仏教が自らの存在意義を教団などの境界を乗りこえ、社会との関係において見直そうとしている活動」と定義する▼昨年十月末、東南アジア上座部仏教最大のミャンマーの僧侶が市民と共に、読経しながら行進し、軍政に対する異議をとなえた。ことし三月中旬、今度は中国・チベットで同じようにチベット仏教の僧侶が、中国共産党政権に抗議行動を起こした。自らの存在そのものを賭した命がけの行動である。いずれも徹底的な弾圧により無数の犠牲者が出て、数千人が拘束された。国家による報道統制にもかかわらず、ネット社会に流出した情報などから、動乱の実態が明らかになった▼ミャンマーにしろチベットにしろ僧侶たちは、世間(国家)の法に背いたかもしれない。しかし仏の法(ダルマ)に忠実だった。仏法にのみ従ったからこそ、世界の世論は、僧侶の行動を支援した。釈尊は言う。「人はすべて暴力におびえる。すペての者にとって生命は愛しい。わが身にひきあてて殺してはならない。殺させてはならない」(法句経130)。暴力装置としての国家に対峙し、超越する仏教の教えである。▼四月二十六日、善光寺は北京オリンピックの聖火の出発地を辞退した。その朝、日本の僧侶たちは、チベット暴動の犠牲者たちへ追悼の法要を行った。声明にこう書く。「今、心を澄ませて、犠牲になったお一人お一人に思いを馳せれば、その誰もが、暖かな体温と、豊かな心を待った、幸せを願う一人の人間であったことに気がつきます」。法要で可能な限り犠牲者の名を読み上げ弔った。仏教者の社会参加の原点は祈りだ。(K)

| @Temple | 03:48 PM | comments (0) | trackback (0) |

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