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無頓着な死

 親族の死に無関心な人々が増えている。葬祭に詳しい評論家の碑文谷創によると「家族である死者への関心が低く、死者への関心が遺族の間で希薄」な者たちが出現し始めているという。別れの場もなく葬儀もしないという「無意識的非葬式派」ともいうべき層が都市部で出現しているらしい。これまでも経済的な理由から葬式を出さずにすます者も、例外的だがいた。九〇年代半ばから増えつつあるのは、伝統的な家族の崩壊も手伝って、華美に流れる葬儀を嫌いごく近い親族だけで別れの場を設ける人々だ。古典楽曲を流し、花に飾られた死者と別れを演出する者もいる。しかし彼らは、家族の成員の死に対し積極的に関わろうとし、別れを直視する人々である。が、「葬式をすべきかどうか悩みもせず、葬式を出す動機を見いだせない」人々の出現は不気味だ▼この国では、母が子に際限のない暴力をふるい死に至らしめる、遺体をビニール袋に詰めてゴミに出す、子供が子供をビルから突き落とし殺す、そんなバブル期からの倫理大崩壊が、深く静かに進む。これら殺人者には実感を伴った死または死体のビジョンが欠落している。これら殺人を犯す人々と、無頓着に葬儀を忘れる人々は、死を棚上げにするという意味で通底しているのではないか、死が隔離され不可視になった時代の病ではないか、と思う▼施設で老い病院で病み死を迎え、そして斎場で葬儀を出しそのすべてが貨幣で決済されるという生老病死の外部化が、いのちの相を見えなくしている。家族と地域の崩壊が、これら病弊の進行に手を貸しているのは紛れもない事実だ。「わが耳に聞こえるほどの念仏」(法然上人)を称えながら最期を迎え、愛する家族、お世話になった隣人に送ってもらえたらと思うのは、筆者だけではあるまい。(K)

| @Temple | 03:50 PM | comments (0) | trackback (0) |

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