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極めて楽な世界

 宗教学者中沢新一によると、仏教のいう「極楽」とは「極めて楽な世界」なのだそうだ。この言葉で目からウロコが落ちた。そうか、仏教の根本命題「執着を捨てる」とは肩肘張って幸福になるためではなく、リラックスするためになのか。阿弥陀経、観無量寿経など極楽を詳細描写した経典を読むと、脱力系・癒し系の、あふれる光に水、かぐわしい香り、官能的な表現が続く。人生の究極の課題は、幸福になるためにではなく、楽になるためにある▼中沢先生によると日本仏教はアニミズム(霊魂信仰)なのだそうだ。ホトケという大きなものが私を包み込み、見守ってくれている、だからこのご恩に生きなくてはならないし、縁に生かされていることに感謝する。日本人が何千年と持っているアニミズム的性向と仏教の哲理が出会ってできた「縄文時代の仏教」だと中沢先生、なかなかしゃれたことを言う。▼あちこちで宗教がきな臭くなっている。これは、幸福になるための競争をしているのではないかなと思う。お互い、楽になるためにだったらもっと別な方途がいっぱいあったはずだ。原理に忠実であろうとすればするほど他との摩擦は激しくなる。BC3世紀、インドの仏教守護者アショカ王の言葉が碑文に残っている。「すべての宗教の根本となるものは、言葉を慎むこと―すなわち不適当な機会においてもっぱら自己の宗教を賞揚したり、他の宗教を非難しないこと、あるいはそれぞれの機会において穏和であるべきことである。」(「摩崖詔勅」)▼仏教はアジア世界において、土着の信仰と習合しながら、広まった。〈縁に生きる〉、〈共生する〉というのは、アンパンマンのように自らのいのちを与えてかたちを変えながら生きることではないか。肩の力を抜いて楽に生きることができればと切実に思う。(K)

| @Temple | 03:51 PM | comments (0) | trackback (0) |

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