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ポクポク木魚 no.34 晩上好

 法然上人(1133―1212)が浄土宗を開かれてから、八百年あまり。でも、お釈迦様の時代(BC5ごろ)から法然上人の時代まで一千五百年以上の時が過ぎている事になります。古代インド仏教の時代にすでに、阿弥陀仏信仰が成立していました。その間、浄土三部経など経典が、中央アジアの砂漠地帯を経て、随・唐代中国にもたらされて信仰が広まっていきます。
 慧遠(334―416)、道釈(562―645)、善導(613―681)らが、代表的な浄土教を広めた僧でした。その慧遠が、よりどころを求めたお寺東林寺(江西省廬山)に行ってきました。
 もう中国行きは十回目となりました。最初はまだ鄧小平の南方講話(資本主義経済スタートの号砲みたいなもの)前、一九八五年でした。三十七年も前の話しです。行くたびに中国は大変貌を遂げていました。行くたびに、自分が浦島太郎状態担っているのが分かってきました。日本が戦後からわずか三十年で、近代資本主義社会を作り、今や後期資本主義に落ちぶれ気味なのに対し、まぁ中国は元気なこと。政治体制は別にして、経済的側面だけではわずか二十年で経済骨格を作ってしまった感じがします。
 中国滞在合計六ヶ月以上の私は、中国人は嫌いでした。横柄な態度、町ゆく人々の声高さ。一つ一つ上げたらきりがないのですが、今回の訪問で初めて「晩上好(ワンシャンハオ)=今晩わ」のあいさつを普通の中国人がするのを体験し、驚天動地の体験でした(それまでの一般的中国人は、あいさつどころかありがとうのひと言も聞いたところがなかったのでした、それもまぁ90年代まででしたが……)。「造反有理」がスローガンだった「文革を知らない子供たち♪」が、中国の第一線で活躍しているのだからそうかもしれません。あと二十年以内に一人あたりGDPも中国に抜かれる可能性が高い今日、きらいとばっかり言っていられません。
 東林寺は、世界史上でも出てくる白蓮教徒の乱の根拠地でもあったぐらいで、伝統あるお寺でした。それよりも、もっと驚いたのは、寺に掲示されていた寺の社会貢献活動でした。社会福祉がまだまだな中国で、孤児院、被災地支援などの活動を、あの宗教活動に非常に制限がある中国でやっている、このことにまずおどろきました。そして、もう一つ、巨大な別院が建設されていたのです。高さ四十メートルという巨大な阿弥陀如来像を小高い山の頂上に作り、その裾野に、何棟もの寺院伽藍を建設中だったのです。建設規模として東京ドームの数倍の広さがあったのではないでしょうか。
 中国、特に南部では、仏教再興の運動が盛んになっているという話は前に聞いたことがありました。目の前に巨大な仏像、伽藍が広がるのを見て、仏教復興を確信しました。衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、拝金主義ばかりが、人生ではないと気付いた人々が増えたのでしょうか。仏教の信仰に舞い戻る中国に驚くばかりの旅でした(住職独白)

| ポクポク木魚 | 12:16 PM | comments (0) | trackback (0) |

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