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理事長というオシゴト

 平成25年の12月に社会福祉法人もやいの会の設立認可が下りて、「理事長」なるオシゴトをすることとなった。26年の3月までは、独りで。4月からは新人を雇い入れ専称寺役員でもあり、障害者福祉に長い経験がある黒岩義秋さんと3人体制、9月からは4人に増えた。今年の4月1日オープンを目指して今は何人ものスタッフ、ボランティアが働いている。
 「理事長」とはいっても、無給ボランティア。本業は、専称寺の住職だと常に念頭に置いて、働いている。無給とはいっても、理事長であることに変わりはない。大半の業務はスタッフがやっていただく。税理士、司法書士、社会保険労務士など専門家に意見を仰ぐことも多い。しかし理事長として時々大きな決断をしなくてはならない。長期展望の計画作り、これに伴う財政問題、雇用、給与、人事などなど。20代からこっち、新聞社、放送局、それに寺の住職をした経験しか持ち合わせていない僕にとって、財務諸表、法律、行政文書は、分からないことだらけ。うーーん。
社会福祉法人もやいの会の目的は障害者支援センターまやの経営である。「まや」の目的は、障害者を日中生活していただいて、一部は働いてもらって、工賃(給与)を出すことである。障害を持つ方をおあずかりすると、厚労省(県の障害福祉課が窓口)からお金が出る。今回、大型のトマト養液栽培ハウスを作った(このトマトが甘くて評判になっている)が、これに対しても農林水産省から工費の半額以上の交付金が出た。いわば、社会福祉施設は、税金のカタマリなのである。
 税金を使わせていただいている故に、審査も厳しく、監査もそれ以上に厳しい。農林水産省の交付金を得るために、A4用紙で百枚以上、書類を作成した。法人認可の多久市や、施設認可の佐賀県にも似たような枚数の書類を作った。
 行政とは書類である、書類に不備、矛盾がなければ、以外と優しい。しかし不備、矛盾を指摘するのはあくまで、国や県や市。お上には逆らえないのである。理事長なる仕事をして分かったことその一である。
 分かったことその二は、理事長なるオシゴトは、孤独であるということ。誰にも相談できないことが、意外と多い。「まや」の運営は、出来るだけ民主的と心がけているが、それでも、エイヤーッと決めてしまわなければならないことがある。それが案外とプレッシャーだったりするのだ。まぁ、十年後には佐賀県の代表的な事業所であると評価されることをめざしひび、苦労します(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:56 AM | comments (0) | trackback (0) |

共生き社会を生きる

 タイちゃんは、うちの寺の次男だ。二歳の時、百日ぜきをこじらせて、肺炎となり、高熱が続いて重度の知的障害を背負った。その彼も、体格も大きくなり現在、特別支援学校の高等部二年生、思春期まっただ中だ◆彼には奇矯な癖がある。親への反抗が昂じて、着ているものすべて、脱ぎ捨てて境内に飛び出すのだ。境内だったらまだいい。昨年、何度か町まで素っ裸で飛び出した。立派な刑法違反である。「タイちゃんが、うちの前を走っていったよ」「タイちゃんが今ここにいるよ」。多くの方々が、電話でタイちゃんの居場所を教えてくれる。体をくるむ毛布をもって、携帯電話で情報をやりとりしながら、タイちゃん捜索が始まる。警察も心得たもので、二度目以降は簡単な事情調査で終わりとなる。都市ではこうはいかないと思う。十六歳の青年が裸で町を徘徊したら、一晩は警察のお世話になるだろう◆かつて、たぶん高度成長時代までだと思うが、日本の共同体、例えばイエ社会、ムラ社会は、忌み嫌われた。村での相互監視社会、大家族での嫁姑の確執だとかで、ムラやイエを離れ、「自立した」市民として生きることがもてはやされた。しかしどうだろう。21世紀の現代、伝統的家族の崩壊、縮小、限界集落の出現などムラもイエも息絶え絶えである。そもそも自立した個人なんて可能だったのだろうか◆そんな現代にあってタイちゃんの一件は、私の住む町には、共同性が生きていることを、思い起こさせた。「共同性」という難しい言葉を使わずともいい。顔見知りの社会が、どれだけ人に優しいか。人は一人では生きられない、これが共生き社会の原点だ。独りで生きることが難しいからこそ、人と人とが縁でつながる。そんな社会がこの日本にまだまだいっぱい残っていることを祈っている。(K) =この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2015年3月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:29 AM | comments (0) | trackback (0) |

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