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ピンホール

 「家がすたれて、家族が残った」と、この頃強く思う。何々家という家父長制の名残が薄くなり、家を残すために養子をとるという風習も無くなった。先祖代々の土地を耕し、そして住まうという農家でさえ、近年の農業改革で大農家に集約され、土地から離れることも多い。住む場所がカジュアルなものになった。土地は貨幣で売買されるものとなった◆東北大震災以降、どれだけ「絆」という言葉が氾濫したか。一昨年67万組が婚姻届を役所に提出し、23.5万組が離婚届を出した。そんな時代にもかかわらず、家族の絆が連呼される。ポストモダン、後期資本主義の時代に生きる、ストレス過剰の現代人は、家族こそが、安らぎを得る最後の砦なのだ。離再婚を繰り返しても、家族を取り戻したい、そんな欲求に駆られている。ただ、「絆」「縁」は貨幣では買えない◆そこで取り残されるのが「死者」の問題だ。戦後ずっと死者は、人々の目線外、近代家族に死は不在だった。成長期には死はタブーだった。現代、世代間同居は数%となり、老人は元気なうちは孤独に過ごし、病んだら介護施設に移り、病院で死ぬ。それ故に、遺品整理の業者が増えた。年間120万人もの死者が出るここ数年、「終活」という言葉が流行し、死を正面から見つめようという人々が増えた。法的整理、経済的処分は、終活で学びうる。が、死は近代合理性では、不可知である。死んだあとのことは誰も知らない◆どんなに家族や老いのあり方が変容しようとも死者は存在する。亡き父や母がいる故に、私や私の兄弟姉妹、孫たちの存在理由がある。位牌は、死者たちと会話するピンホールではないか。仏壇や墓は、家族が家族であるためのシンボルではないだろうか。変容する家族に間近で寄り添ってみて、そんな思いが強くなっている。(K)=この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2013年12月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |

障害者支援センターまや

 社会福祉法人を新設して、障害者支援センターを開設しようとしている。まだ確定したわけではない。その途上だ。
 私の次男は、障害児だ。2歳の時に百日咳をこじらせて肺炎となり、高熱が続き智慧遅れとなった。16歳だが知能は3歳程度。3年近く前、障害者支援の世界に長いあるお檀家さんから「和尚さん。お寺で社会福祉ばせんば!」とたたみかけられて、次男の体験もあったので、つい「やってみようか」と思った。障害児を持つ親の絶望感が分かち合えるような気がしたからだ。仏教のいう慈悲心は、現代では社会福祉活動でもある。
 設立準備会を開設したり、あれこれ活動をしていたら、今年4月に、多久市が学校合併による廃校を利用する業者を探しているとの情報があった。7月にコンペがあり、私たちが優先交渉権者として選ばれた。
 会の名前はこの寺だよりの名前でもある社会福祉法人「もやいの会」、施設は、知的障害者、精神障害者を中心に定員40人を目指す小規模多機能型だ。施設の名前を「障害者支援センターまや」と考えている。「まや」とは言うまでもなくお釈迦様のお母様のお名前だ。福祉には母性が必要だと考えたから、そう名付けた。役員候補には、専称寺の役員を中心に地域の福祉関係者になっていただいた。社会福祉法人の基本金に、専称寺が平成元年から少しずつ積み立てていた基本金から寄付させていただくことになった。多久市から譲渡いただく学校は、旧南部小学校。運動場・体育館を除く校舎で、敷地は七千㎡、延べ床面積は三千五百八十㎡もある。施設の開設予定は、平成27年4月。
 福祉の世界では、「障害者自立支援法」から「障害者総合支援法」に替わって、様変わりしているという。競争原理の導入、地域との共生、サービスの提供主体を市町村に委譲など。私たちの目指す施設は、「総合法」でいう就労支援施設。とくに障害の軽い人々には、ちゃんと雇用契約を結んで、工賃を支払わなくてはならない。工賃を支払うためには、当然ながら国からの支援費だけでは足らない。就労事業を行うこととなる。
 就労事業の基本テーマを私たちは「食と農」とした。食や農のノウハウは、この地域の人々の中にぎっしりと詰まっていると思ったからだ。事業は、旧南部小学校の広い建物、敷地を利用して、ハウスによる水耕栽培、菌床栽培によるきのこ生産、お菓子生産などを、少しずつ充実させようと計画している。いずれは、障害者のためのグループホーム、ケアホームも計画中だ。
 私の曾祖父の妹は、生まれながらの全盲だった。三味線と箏の教授で生計を立て、私が小学生の頃、90歳で他界した。その頃までは地域の中に障害を持つ人々が生き生きと生活していた。それがいつの間にか、高度成長時だと思うが、障害者は山中のコロニーに押し込まれた。それを社会に戻すのが、私たちの使命でもある。共生社会の実現は、縁起思想によってたつ仏教者の使命でもある、と思う。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:48 AM | comments (0) | trackback (0) |

国民歌謡の終わり

 この国の人誰もが口ずさめる国民歌謡の最後が1977年に石川さゆりが歌った「津軽海峡冬景色」だったと、誰もが認めるだろう。この年を相前後して、伝統的家族の崩壊が始まっている。つまり、家族そろっての夕食の団らんが、消えたのだ。一人暮らし、二人暮らしが、全所帯の半数を超えた。大家族でもそれぞれの部屋にこもる「個室の時代」が始まった。はやり歌は世代別にセグメント(区分)された◆日本仏教の特質に「先祖信仰」というものがある。仏壇にいらっしゃる御先祖様を大切にする信仰である。こんな信仰があるからこそ、一周忌に始まって三十三回忌、五十回忌などの法事を、ほとんどの方々が、あたりまえにように親族とともにされる。葬儀の場合もそうだ。親の死に目に会う、会わないが、人生の大問題であることは、今も昔も変わっていない◆仏教は、家族をバインド(繋ぐ)する最後のシステムではないかと、この頃強く思う。仏壇があることが、家族が家族である最後の防波堤だと思う(住職)

| @Temple | 04:27 PM | comments (0) | trackback (0) |

共生と平和の教え

 法然上人(1133-1212)のご法語全巻を読み返した。こんな言葉に出くわした。目から鱗が落ちるほど驚いた。「お念仏の行を全く信じようとしない人と議論しあったり、また、お念仏以外の行を修したり、私たちとは異なる理解をしている人に向かって、お念仏の教えを強制してはいけません。異なる教えを学び、異なる理解をしている人に対しては、彼らを敬いこそすれ、軽んじ侮るなどのことをしてはいけません。」(津戸の三郎へつかわすお返事)◆唯一絶対の神をいただく一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などは、他の信仰を認めることは原理的にあり得ない。ローマ帝国のキリスト教国教化(テオドシウス一世・4C)以来、欧州の地でどれだけの血が流されたか。異端審問、宗教戦争、とりわけプロテスタント国家オランダ独立に伴う八十年戦争(1568~)、ボヘミアの反乱で始まった三十年戦争(1618~)は全欧州諸国を巻き込んでの、カトリックとプロテスタントの戦いだ。政治的にはウエストファーレン条約(1648)で決着を見たが、その後も現代まで、ユダヤ・イスラム対立、イスラム原理主義の台頭など宗教的対立は尽きない◆西欧の宗教的寛容の思想はジョン・ロック(1632-1704)によって確立された。「いかなる私人も、教会や宗教の違いを理由として、他人の社会的権利の享有をそこなう権利を持ってはおりません。たんなる正義という狭い限度に満足することなく、慈愛、博愛、寛大がそれに加えられねばなりません。」(寛容についての書簡)◆12世紀に書かれた法然上人の言葉を、もう一度かみしめてほしい。他を敬い、他に強制をしない、侮らないという教え。血なまぐさい宗教紛争が絶えない現代にあって、まさに平和と共生の言葉ではないかと思う。(K)(浄土宗新聞平成25年6月号一面コラム鐸声掲載)

| @Temple | 04:23 PM | comments (0) | trackback (0) |

多久ミュージカル・カンパニー

 多久ミュージカル・カンパニー(TMC)は3年前、多久で産声を上げた。4月には第3回公演。堂々の3ステージを行う◆ミュージカルの制作は、様々な専門職の人手を要する。脚本、作曲、演出、ダンスや歌唱指導、メイク、大道具、小道具、照明、音響、金銭管理や出演者への連絡など裏方も必要だ。4年前、立ち上げのお手伝いをしたとき、こんな田舎で十分なスタッフは集まるまいと思った。それが蓋を開けてみると、様々な人材が集まった◆演出は、元アメリカの州立大学で演劇を教えていた青柳達也さん、作曲は全国で活動している弓削田健介さんや比留間光悦さん。市内外から、演劇、ミュージカルの経験者が集った。30年も前の話だが、筆者が佐賀新聞文化部に在籍し、県内の文化を取材していた頃に比べれば、隔世の感がある◆第3回公演は4月6、7日の2日間、多久中央公民館大ホールで。公演タイトルは「フォーエバーナウ・永遠にかわらないものを求めて」。是非、お出かけいただきたいものである。(住職)

| @Temple | 03:19 PM | comments (0) | trackback (0) |

里山としての多久

 境内にアナグマが出た。八年ほど前、寺の森にコナラ(ドングリ)、クヌギ、クルミ、クリ、ブナなど実のなる落葉樹を植えた。昨年冬までは、その落ちた実から芽が出て、下草払いで手こずった。しかし、この冬から、全く落ちた実を見かけなくなった。不思議な思いをしていると、寺の境内を清掃してくださっている檀家の奥さんから「なんか小さな動物が、境内を横切って、お地蔵さんに供えてあるお菓子を食いちぎって逃げた」と教えてもらった。それからまもなく、寺で飼っている猫(雄)が、前足に大きな傷を負ってきた。獣医に相談すると「この傷ははアナグマですね」と。そうか、森に実が落ちていないのはアナグマが木の実を集めているからなんだ、と気付いた。寺の裏のどこかに巣を作っているらしい。
 寺に住んでいると、様々な野生動物に出会う。二十年ほど前だったが、テンが天井裏に巣を作って出産したことがあった。イタチも同じように天井裏に巣を作った(天井にシミができるので寺の管理上は困るのだけれども……)。民話・桃太郎に出てくるキジもサルも見かけた。極彩色のキジはとても綺麗だが、戦闘的である。寺で飼っている犬と喧嘩をしていた。モズ、ツグミ、ウグイス、メジロなど野鳥も、毎日境内で見ることができる。
 専称寺の建つ本多久は、里山の地である。八幡岳(標高764㍍)、鬼の鼻山(標高434㍍)、中世に多久家の山城があったと伝えられる城山(標高201㍍)、等々の山々に囲まれた旧い城下町だ。戦前は、多久の里山に木炭の材料として、カシなどが植えられ、戦後は植林ブームでスギが植栽された。昭和三十年代に入ると、里山のほとんどがミカン園となった。そして今、スギの人工林は、輸入材に押され材木価格の低迷により管理するものも少なく、公有林以外は荒れ放題。ミカンも価格下落によりミカン園は大半が廃園となり雑木林が復活している。
 野生動物が、里山に復活したのは、こうした山相の変化と関係あるのではと思う。皮肉なことではあるが、人が山に入らなくなって、野生動物が復活した。イノシシなどはあまりの繁殖ぶりで、畑作物などを荒らし、駆除の指定動物になっている。タヌキもキツネもよく見かける(というか、交通事故に遭って道ばたでよく死んでいる)。先日、友人の農家から聞いたことだが、数年前、環境省のレッドデータブックに掲載され絶滅危惧種になり話題となったメダカも、このごろ色んなところで見ることができるという。
 この国は、人口減社会に突入した。地方はますます過疎化が進むだろう。多久市は、二十年後に三〇㌫以上、人口が減るという予測が出ている。しかし、それはそれでいいのではないか、と思う。戦後から高度成長期に、あまりにヒトが山に入りすぎたのではないか。自然を開拓しすぎたのではないか。「山のものは山に返せ」という言葉を聞いた。山野に対し、最低限の手入れは怠ってはいけない。が、民話に出てくるような野生の小動物と共生できる自然を再生していくことこそ、里山に住むものの使命だと思っている。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 03:16 PM | comments (0) | trackback (0) |

もう一つの「他界」

 世界十数カ国の言語に翻訳され、数千万人の読者がいるという世界的な作家村上春樹、これまで何度もノーベル文学賞の候補としてあげられた。その父村上千秋さん(08年8月、90歳で逝去)が、かつて京都市蹴上の安養寺に所属した西山浄土宗の僧侶であったことは、ほとんど知られていない◆自らの家族のことについて、ほとんど公にしない村上春樹だが、09年イスラエルの文学賞エルサレム賞受賞スピーチでで初めて父のことを明らかにした。「私の父は(中略)教師を引退して、たまに僧侶の仕事をしていました。」「子どもの頃、父が毎朝食事の前に、自宅の小さな仏壇の前で深い祈りを捧げているのを見て育ちました」「仏壇に向かう父の後ろ姿を見ていると、父の周りに死の影が漂うのが見えるような気がしました。そして父は、私がけっして知りえることのなかった記憶を抱いて逝きました」村上の小説には、様々な場面で「異界」が出現する。初期の長編『羊をめぐる冒険』に始まって、『アフターダーク』『海辺のカフカ』などでも異界がないと物語が成立しない。『スプートニクの恋人』では「ドッペルゲンガー」という異界の幻視が描かれ、近作『1Q84』では全編「二つの月」がある異界で物語は進行する◆西山浄土宗も浄土宗もいずれも法然上人を祖とし、念仏をいただき、西方浄土への往生という他界観を持っている。此岸と彼岸、この世とあの世、濁世と極楽、浄土教の世界観はパラレルな構造を持ち、それなくしてはその教理大系は崩壊する。村上ワールドに頻出する異界は、ついに知り得なかった父親の中国での生と死の記憶、さらには僧侶としての他界観と密接に関連しているのではないか。幼い頃から仏壇の前で念仏を称える父親を見て育っているはずだろうから。(K)(浄土宗出版刊・浄土宗新聞平成25年2月号一面コラム鐸声)

| @Temple | 05:01 PM | comments (0) | trackback (0) |

信仰と信心と

 遠い昔、学生時代の話だ。宗教心理学か何かの授業で、W・ジェームズ『宗教的経験の諸相』を輪読した。私は彼の「回心論」に思いっきり、こけた。今、同書を読み返してみるとこうある。「それまで分裂していて、自分は間違っていて下等であり不幸であると意識していた自己が、宗教的な実在をしっかりつかまえた結果、統一されて優れており幸福であると意識するようになる」。「えっ、オレってどうなるのさ! オレって不幸、火を見たり光を見て神秘体験をすれば幸福になるっての?」。

 明治以降、キリスト教の「回心」(かいしん)が、仏教にも輸入されて「回心」(えしん)と読み替えられて、近代仏教学に取り入れられたことは知っている。しかし今、私は劇的な回心は全知全能の神をいだく一神教文明(ユダヤ・キリスト教、イスラム教)のなかでしか起こらない現象だと思う。神の生まれたシリア、ヨルダン、イスラエルを歩くといい。砂漠・荒野のなかにポツンとオアシスの街がある。砂漠にあるのは太陽と砂だけだ。一歩道を間違えれば死が待っている、そんな風土だ。そこで神と対話するには、よほど強い自我が必要だろう。その強固な自我の割れ目が、一神教の回心ではないか。

 現代社会、西欧一神教に淵源を持つ様々な思潮が、終焉を迎えようとしている。西欧の『旧約聖書』以来のキリスト教的世界観、自然は克服すべき対象であり、人間は神と対話できる強靱な自我を持つ「自立した個人」でなくてはならならず、人間は自然から超越した優秀な存在であり、人間以外のものは、人間にとっての道具である=人間中心主義(啓蒙主義)、こんな考えが終わりを迎えようとしている。さらにデカルト以来の合理主義、ニュートンらの科学至上主義、ウェーバーが分析した資本主義等々、これら強い自我によってもたらされた考え方の終わりの徴候が、3・11フクシマであり、9・11ニューヨークであり、9・15リーマンショックではなかったか。

 仏教は、森に生まれた。釈尊時代のガンジス川流域は、深い森に囲まれていた。森の多様性に、仏教は学んだ。大乗仏教は、長い時間をかけて、インド亜大陸、中央アジア、中国の神格を取り入れた。釈尊一仏の信仰と見える上座部仏教でも多数の土地神が摂取された。日本仏教に至っては、天台本覚思想(山川草木すべてに仏性を認める考え方)に影響を受け、また神仏混淆も進んだ。

 仏教に対する日本人の態度は、世界を超越しあれかこれかをせまる熱い「信仰」ではなく、世間のなかで様々なものを包摂しながら祈る安らかな「信心」ではないかと思う。「損か得か」「敵か味方か」など自我を強く持つことこそ人生における「苦」の原因と説く。仏教とは、自我をなるべく低くして、縁のおもむくままに生きる教え、特に苦しみを生み出す連鎖を、静寂とやすらぎへと転換する生活の作法ではないかと思う。
2012/10仏教情報センター「仏教ライフ」掲載

| @Temple | 11:45 AM | comments (0) | trackback (0) |

健康幻想

 私にとって昨年度は大変な年だった。昨年6月、不安神経症で1ヶ月の入院、快癒してお施餓鬼、お盆の夏を乗り切ったかと思うと、今後は肩が上がらなくなって関節リウマチとの診断。今年3月には、写真撮影中に机から落っこちて、アキレス腱断裂、2週間入院。今はほぼ、足が少し不自由なだけで通常の生活を営めるようになった◆病院のベッドで考えた。この高齢時代、中年以降は何らかの病をもって生活するのが、当然のことではないか。我々はあまりにも健康幻想にとらわれているのではないか◆ある学者によると、人生の終末のある時期になると、人は食を摂らなくなるという。脳が「もう死んでいいよ」と命令を発しているそうな。最期は枯れ木のように往生するという◆健康幻想に支配されているから、人は病院で栄養剤の点滴など様々な生命維持のパイプにつながって死ぬ。私たちは、尊厳ある死を選択すべきではないか。枯れ木のようになって家族に別れを告げる尊厳死を選択すべきではないかと思う(住職)

| @Temple | 04:20 PM | comments (x) | trackback (x) |

藩政期の終わり

 藩政期とは江戸時代のこと、今さら江戸時代が終わったとは、何事なのと考える方が多いでしょう。でもお寺の周辺には、江戸時代から受け継いだ制度、儀礼、風習だらけだったんです。その江戸時代からの様々なものが、もうほぼ終わったなぁという感慨があります。
 まず「名家」が無くなくなりました。というより「家制度」が青息吐息の状態です。昭和四〇年代までは、お盆のお参りに行くと、お座敷の床の間に、数百年前からの位牌をずらっと並べて、お祀りしている家がいくつも多久にはありました。それが絶滅しました。江戸時代に多久家・上級武士の家の由来を調査して冊子にまとめた「水江臣記」という古文書があって「多久古文書の会」によって、読みやすい活字本になっています。これを見ると鎌倉期以降の家の歴史をちゃんと後世に伝えている。そんな名家が、今はもう絶家したか、多久を離れて全国に分散しています。家の歴史を知る現代人がどれほどいるでしょうか。そもそも家制度が、戦後民法でずたずたになってしまっています。
 経済学の話になって恐縮ですが、「土地」「貨幣」「労働」すべてが商品として流通するのが自由主義経済です。それが、現代の新自由主義経済となって、極端になっている。土地は、とりあえず住む場所としてしか意味をなさず、投機の対象ともなります。貨幣(お金)も日本円から米ドル、ユーロなどあらゆるお金に交換でき、外貨貯蓄も盛んです。労働だって一昔前は、一生同一の会社に「奉公」するのが当たり前の時代から、トラバーユするのが当然。そんな時代思潮になっています。すべてがカジュアル(一時的な)ものになってしまったのです。
 少し行きすぎだとは思いませんか? 「私はこの町に生まれた。それは父がこの町に生まれたからだ。私の子もこの町に住むだろう」という言葉が、私は好きです。一時期定住社会という言葉が流行しましたが、現代は定住どころか、仕事がある場所に流浪する流民社会となっているのではないでしょうか。
 地域の様々な風習、制度は、江戸時代からはるか遠くなってしまいました。ただ、お寺の中、つまり様々な仏教儀礼は、鎌倉時代の文章をとなえ、安土桃山時代に成立した日常経典をあげるなど、そのまんま残っています。また、現代人にも心の奥底には、日本人特有の他界観(御先祖様を大切にするとか、死んだら極楽に行くとか…)があると疑いません。
 ある社会学者は「家名」「家産」などを大切にし継承していく伝統的家庭制度が終わった、と書きました。確かにそれは事実です。老人介護も、出産も病気療養もすべてが、お金を媒介として、家から外に出てしまいました。ただ、旧民法時代の大家族制度には、たとえば都会で食いつめた者を居候として、迎え入れるおおらかさがありました。ある種の福祉制度が大家族のなかにはありました。現在、家族は縮小の一途をたどっています。ただただ、私は自らのいのちの拠り所として、家族を大切にしてほしいと思っています。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:09 PM | comments (0) | trackback (0) |

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