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寛容の教え

 シンクレティズム(syncretism)という言葉がある。「混交主義」と訳すのが一般的だ。教学上の見解を融合、和解させようという現象である。日本では平安時代以来、神と仏を融合させた本地垂迹説がそれにあたる。アジアの様々な神格を採り入れながら東漸し、日本にたどり着いた多神教たる仏教と、八百万の神と呼ばれるように、神話上、歴史上の人格、自然など様々なヒト、モノを神として祀った神道とが、混交しないわけがない。明治の国家政策としての廃仏毀釈までは、寺と神社が同じ境内にあることは珍しいことではなかった▼少し前、中東パレスティナの地を訪れた。同じ一神教であるイスラムとユダヤの衝突点である。「分離壁」といわれる巨大な壁が、二つの土地を分けようとしていた。唯一絶対的な人格神をいただく両宗教に、原理的に共生はあり得ない。そもそも、シンクレティズムなる言葉には、「無節操」「折衷」などの軽蔑的なニュアンスが含まれる。イスラエルは物理的な「壁」を建設して自らの信仰を守るしか方途はないと主張する。9.11に代表されるように、「文明の衝突」と言われて久しい。前世紀末からバルカン半島・中東に至る地域紛争、国家間戦争は、その大半が宗教戦争(紛争)だ▼仏教は、その始まりからして寛容の宗教である。他派の聖典であっても、その意味を容認する。各人の資質によって、様々な教えがあって良いとも説く。法然上人にもこんな言葉がある。「異学異解の人をえては、これを恭敬して、かろしめあなどる事なかれ」(津田三郎へつかわすご返事)。他宗派の教えを敬えとおっしゃっている。キリスト教に基盤を持つ欧米文明が衰退し、多種多様な文明が並立し始めるという21世紀、仏教の寛容の思想は重要性を増すと信じる(K)

| ポクポク木魚 | 09:00 AM | comments (0) | trackback (0) |

静寂とやすらぎへ

 遠い昔、学生時代の話だ。宗教心理学か何かの授業で、W・ジェームズ『宗教的経験の諸相』を輪読した。私は彼の「回心論」に思いっきり、こけた。今、同書を読み返してみるとこうある。「それまで分裂していて、自分は間違っていて下等であり不幸であると意識していた自己が、宗教的な実在をしっかりつかまえた結果、統一されて優れており幸福であると意識するようになる」。
 「えっ、オレってどうなるのさ! オレって不幸、火を見たり光を見て神秘体験をすれば幸福になるっての?」。
 明治以降、キリスト教の「回心」(かいしん)が、仏教にも輸入されて「回心」(えしん)と読み替えられて、近代仏教学に取り入れられたことは知っている。しかし今、私は劇的な回心は全知全能の神をいだく一神教文明(ユダヤ・キリスト教、イスラム教)のなかでしか起こらない現象だと思う。神の生まれたシリア、ヨルダン、イスラエルを歩くといい。砂漠・荒野のなかにポツンとオアシスの街がある。砂漠にあるのは太陽と砂だけだ。一歩道を間違えれば死が待っている、そんな風土だ。そこで神と対話するには、よほど強い自我が必要だろう。その強固な自我の割れ目が、一神教の回心ではないか。
 現代社会、西欧一神教に淵源を持つ様々な思潮が、終焉を迎えようとしている。西欧の『旧約聖書』以来のキリスト教的世界観、自然は克服すべき対象であり、人間は神と対話できる強靱な自我を持つ「自立した個人」でなくてはならならず、人間は自然から超越した優秀な存在であり、人間以外のものは、人間にとっての道具である=人間中心主義(啓蒙主義)、こんな考えが終わりを迎えようとしている。さらにデカルト以来の合理主義、ニュートンらの科学至上主義、ウェーバーが分析した資本主義等々、これら強い自我によってもたらされた考え方の終わりの徴候が、3・11フクシマであり、9・11ニューヨークであり、9・15リーマンショックではなかったか。
 仏教は、森に生まれた。釈尊時代のガンジス川流域は、深い森に囲まれていた。森の多様性に、仏教は学んだ。大乗仏教は、長い時間をかけて、インド亜大陸、中央アジア、中国の神格を取り入れた。釈尊一仏の信仰と見える上座部仏教でも多数の土地神が摂取された。日本仏教に至っては、天台本覚思想(山川草木すべてに仏性を認める考え方)に影響を受け、また神仏混淆も進んだ。
 仏教に対する日本人の態度は、世界を超越しあれかこれかをせまる熱い「信仰」ではなく、世間のなかで様々なものを包摂しながら祈る安らかな「信心」ではないかと思う。仏教は「損か得か」「敵か味方か」など自我を強く持つことこそ人生における「苦」の原因と説く。仏教とは、自我をなるべく低くして、縁のおもむくままに生きる教え、特に苦しみを生み出す連鎖を、静寂とやすらぎへと転換する生活の作法ではないかと思う。

| @Temple | 04:09 PM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 no.34 晩上好

 法然上人(1133―1212)が浄土宗を開かれてから、八百年あまり。でも、お釈迦様の時代(BC5ごろ)から法然上人の時代まで一千五百年以上の時が過ぎている事になります。古代インド仏教の時代にすでに、阿弥陀仏信仰が成立していました。その間、浄土三部経など経典が、中央アジアの砂漠地帯を経て、随・唐代中国にもたらされて信仰が広まっていきます。
 慧遠(334―416)、道釈(562―645)、善導(613―681)らが、代表的な浄土教を広めた僧でした。その慧遠が、よりどころを求めたお寺東林寺(江西省廬山)に行ってきました。
 もう中国行きは十回目となりました。最初はまだ鄧小平の南方講話(資本主義経済スタートの号砲みたいなもの)前、一九八五年でした。三十七年も前の話しです。行くたびに中国は大変貌を遂げていました。行くたびに、自分が浦島太郎状態担っているのが分かってきました。日本が戦後からわずか三十年で、近代資本主義社会を作り、今や後期資本主義に落ちぶれ気味なのに対し、まぁ中国は元気なこと。政治体制は別にして、経済的側面だけではわずか二十年で経済骨格を作ってしまった感じがします。
 中国滞在合計六ヶ月以上の私は、中国人は嫌いでした。横柄な態度、町ゆく人々の声高さ。一つ一つ上げたらきりがないのですが、今回の訪問で初めて「晩上好(ワンシャンハオ)=今晩わ」のあいさつを普通の中国人がするのを体験し、驚天動地の体験でした(それまでの一般的中国人は、あいさつどころかありがとうのひと言も聞いたところがなかったのでした、それもまぁ90年代まででしたが……)。「造反有理」がスローガンだった「文革を知らない子供たち♪」が、中国の第一線で活躍しているのだからそうかもしれません。あと二十年以内に一人あたりGDPも中国に抜かれる可能性が高い今日、きらいとばっかり言っていられません。
 東林寺は、世界史上でも出てくる白蓮教徒の乱の根拠地でもあったぐらいで、伝統あるお寺でした。それよりも、もっと驚いたのは、寺に掲示されていた寺の社会貢献活動でした。社会福祉がまだまだな中国で、孤児院、被災地支援などの活動を、あの宗教活動に非常に制限がある中国でやっている、このことにまずおどろきました。そして、もう一つ、巨大な別院が建設されていたのです。高さ四十メートルという巨大な阿弥陀如来像を小高い山の頂上に作り、その裾野に、何棟もの寺院伽藍を建設中だったのです。建設規模として東京ドームの数倍の広さがあったのではないでしょうか。
 中国、特に南部では、仏教再興の運動が盛んになっているという話は前に聞いたことがありました。目の前に巨大な仏像、伽藍が広がるのを見て、仏教復興を確信しました。衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、拝金主義ばかりが、人生ではないと気付いた人々が増えたのでしょうか。仏教の信仰に舞い戻る中国に驚くばかりの旅でした(住職独白)

| ポクポク木魚 | 12:16 PM | comments (0) | trackback (0) |

作法としての仏教

 日本仏教は、生活の作法、生活の型ではないかと、このごろしみじみ思う。キリスト教、イスラム教など一神教の信仰は、死を賭けて守るものだ。すべて日常は神とともにある。しかし、日本仏教は、様々な仏だけでなく、先祖信仰、山岳信仰などとの繋がり元にある。多神教の一つが仏教なのだ◆日本の伝統芸能は、「型」がすべてだ。基本的な型を何度も何度も本当に身につくまで繰り返す。知的な理解は、型・作法があって初めて付いてくる。多神教としての仏教もそうなのではないか。正月、節句、お盆、くんち(秋祭り)など年中行事に、父母に教わったとおりに、「祭り」を繰り返す。朝太陽を拝するものもいる。毎朝、仏壇に線香を上げ、南無阿弥陀仏と称える、こんな生活作法が、日々重なって、「信心」に育っていく◆日本はこれから長い成熟社会(成長無き社会)に入っていく。こんな時代だからこそ、森の神、海の神など八百万の神と共生してきた日本仏教の「静かな」教えが必要になってきているのではないか(住職)

| @Temple | 12:14 PM | comments (0) | trackback (0) |

交換から贈与へ

 3・11東日本大震災・東電福島原発事故から一年経った。震災以来、自らの心のなかに「一から考えなくては」との思いが募った。思想史、経済史の本を片っ端から読みあさった。学生のころに戻ったようだった◆15世紀のスペインの海洋制覇、オランダの時代を経て大英帝国が世界を制覇した。そして第一次大戦後、米国が覇権を握った。21世紀の今、アメリカが次第に衰退し、米ドル基軸体制いや近代そのもの、つまり合理主義、資本主義、啓蒙主義、科学万能主義が終焉を迎えつつある。ポストモダンの時代こそわれわれの時代だ、という。西欧の『旧約聖書』以来のキリスト教的世界観、自然は克服すべき対象であり、人間は神と対話できる強靱な自我を持つ「自立した個人」でなくてはならない、人間は自然から超越した優秀な存在であり人間以外のものは、人間にとっての道具である=人間中心主義(啓蒙主義)だというのだ。しかし、フクシマの爆発は、自然を制圧しようとした人間への警鐘ではなかったか。リーマンショックに代表される米国経済の崩壊は数式(近代そのもの)に過度に依存した果ての、暴走ではなかったか◆日本的な世界観では自然は恵みである。温暖な気候に生きる日本人は、自然に対し常に感謝を忘れない。時に、自然は、今回の大震災のように暴力をふるう。それでも、私たちは自然の恵みに生きていることを決して忘れない。自然からの「贈与」で生きている。これは決して近代経済の言う「交換」ではない。資本主義経済は、貨幣を媒介としてすべては「交換」で成立している。これから超高齢社会に向かう日本は、近代(市場万能)の先を常に見据えなくてはと思う。砂漠で生まれた一神教的世界ではなく、森で生まれた仏教など多神教の教えはますます重要となると確信する。(K) 

| @Temple | 04:01 PM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 8 佐賀弁ラジオ

 佐賀唯一のAMラジオ局NBCラジオ佐賀で、パーソナリティなる番組の進行役を務めて17年となる。同局は58年開設、今年で放送開始53年と、県内放送局では最も古い会社だ。08年の調査会社ビデオリサーチの調査によると、平均聴取率約3㌫、県内外の聴取エリア人口百万人として、約三万人の人々に聴いて頂いていることになる。
 それはひょんな事から始まった。94年お正月のゲストとして、当時映画の自主上映団体のスタッフだった私は、番組に呼ばれ、映画のことをおしゃべりした。それがうけたのか、三月にもう一度ゲスト出演、そのまま四月から番組を担当することとなった。新聞記者としての経験は少しはあったものの、放送は全くの素人。今考えれば冷や汗ものである。
 担当は土曜日の朝ワイド(約2時間)と呼ばれるバラエティ番組でお相手は、メキシコ人の女性だった。日本人と結婚して、ほぼ日本人化していた彼女本来の、ハッピーなラテン気質をおしゃべりのなかで引き出そうと、懸命だった記憶がある。
 その後、月曜日、火曜日の朝ワイドを経験し、開局40周年での企画「わが町大好き」と題した生の現地オンエア番組を担当した。当時、佐賀県は49市町村、1年間のワンクールが55週だから、ちょうど全市町村を回れることとなる。町村長さん、JAの組合長さん、婦人会長さんなど町村の代表に集まってもらって、1時間半の番組を制作した。町の特産物紹介、名所の紹介などで、担当者に話してもらったりもした。いつも通っている市町村でも、知らないことが多く驚きの連続だった。評判がよかったのか、3年間番組は続いた。
 あるとき、ふと気付いたのが、番組は佐賀弁で進行する方が、ゲストの反応がよく、本音を引き出せるということだった。それまで、「一応」公共放送ということを意識していたのかどうか、標準語でおしゃべりしていた。ところが、ディープな佐賀弁で、番組を進行したとたん、番組が深く、テンポがよくなった。
 実は「標準語」なるもの、明治維新初期に国家統一の国策として、また当時の言文一致運動の成果として、始まったものだ。日本放送協会(NHK)がラジオ放送を開始してすでに90年近く、今や誰もが標準語を話す時代である。地方から上京して、なまりが気になるという時代でもなくなった。方言と標準語が、すぐ切り替えられる世代ばかりとなった。
 在京キー局のアナウンサーが、地方で取材するのに、無理に方言を使うのに、私は違和感を持つ。また、地方局の番組進行に、標準語を使っているのにも同じように、微妙にそぐわない感覚を持つ。地方放送局が、標準語を使う時代が終わりつつあるのではないかと思う。佐賀弁のニュースショー。天気予報があっても良いではないか。「今日はがばいよかニュースがあっですばい」とニュースキャスターがしゃべる番組があっても良いではないか。
 ここ数年は、スタジオにゲストをお招きしての対話番組を担当している。お相手が佐賀出身、佐賀在住の方には、当然ながら、佐賀弁でお相手をしている。その方が、ずっとテンポの良い番組に仕上がるからだ。災害放送でその重要性を見直されたように、電池一個さえあれば聞けるラジオ、スマホによるリアルタイムの番組を聴くIPサイマル放送も始まった。弁当箱大の機器さえあれば、どこからでも放送できるラジオ、最もシンプルな媒体であるラジオの未来を信じてやまない。(「ろんだん佐賀」と題された原稿は、佐賀新聞社「ろんだん佐賀」として掲載されたものの転載です)

| ろんだん佐賀 | 11:35 AM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚No.33 「住職」って?

 「住職」とはよく言ったもので、「住むのが仕事(職)」という意味になります。人の死はいつも突然です。住職が寺にいないと、なにも始まりません。枕経に始まって、通夜、葬儀、そしてお寺での三日参り、突然、それはやって来ます。常になにがしかのスケジュールを空けておかないと、葬儀は出来ないことになります。うちのお寺で月に二回から五,六回の葬儀があります。そのためにもお寺に常にいるというのが、住職なのでしょう(もっとも、住職という言葉の歴史的な意味は、「住持」つまり、仏の教えを持つという言葉が、住持職となり、住職となったそうですが、それはまぁそれとして)  筆者は、これまでNGOのお仕事で海外へたびたび往復し、浄土宗の任務などで、月に何度も寺を開けていました。講演も月に何度も入れていました。それも、父である老僧が、お寺のお仕事を代わりにやってくれて、「住職」ならぬ「飛び職?」が出来ていたわけです。ただ、父も八十八歳、決して若くはありません。長男は、やっとこの夏、四回にわたる僧侶の研修を終え、十二月に加行(けぎょう)と呼ばれる厳しい修行に入ります。それで、やっと一人前の僧侶として認められると言うことですが、今は佐賀市内の高校で世界史の講師として、毎日学校に通う身で、まだまだ、お寺のお仕事を任せるわけには行きません。  やっと「住職」の境地になったのかなと思うこの頃です。つまり、いつ、檀家さんからご葬儀の依頼があっても、ちゃんと対応できるようになったのかなと。  若いころは、なんで漢文を棒読みするお経を、葬儀や法事によまなくてはならないのか、と悩んだことがありました。この頃、葬儀を執行して思うのは、人の死が厳粛であればあるほど、その別れの儀礼も厳粛であるべきだということです。八十年なり九十年なり生きてきた証として、子や孫、そして知人(高齢化で知人の出席が難しくなったという事実はありますが)が、一堂に集い、手を合わせる、そんな葬儀の必要性を、ひしひしと感じています。また、葬儀は、無くなった方だけのためではなく、遺族の死者への別れ、「死」を受け入れる儀式だとも思っています。  「無縁死」という言葉が流行しています。だれも、死を看取る人がいない人々の存在、生涯未婚率の高さ(現在三十代後半男性で四分の一が未婚です)、離婚率の高さ(三組に一組は離婚しています)などから、無縁死は発生します。でも、筆者としては、縁無き死に際しても、堂々と葬儀を執行したいなと思います。葬と墓の生前契約である専称寺の永代供養墓「菩提樹陵」は、そのためにも存在します。  いずれ増え続けるであろう「無縁死」は別として、葬儀を日常的に主宰して、思うのは家族の大切さです。家族の縁は、切っても切れない存在です。親と子がたとえ別居しようとも、家族は家族です。半ば崩壊しつつある伝統的家族を新しい時代にあった家族として、私たちは創る義務もあるような気がします(住職独白)

| ポクポク木魚 | 11:01 AM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 7 私の深夜特急

 作家沢木耕太郎の紀行小説に『深夜特急』がある。70年代のアジアから欧州までのバックパッキングの旅の記録である。私も、完全陸路ではないが、85年秋から一年半、アジア・欧州を妻と旅をした。自由旅行が解禁となった中国大陸をまず目指し、陸路で広州に入り、そこから中国西域を中心に、二ヶ月滞在、正月はタイのプーケットで過ごした。バンコクで、アジア各都市に降りることのできるアテネ行きのバングラデッシュ・ビーマン航空の安チケットを買って、インドに渡った。
 80年代のインドは、まだ経済発展に出遅れ、混沌としていた。あこがれの仏陀の遺跡を回りネパールに入った。トレッキングも、ポカラを起点に、アンナプルナベースキャンプまでひと月、山を歩いた。首都カトマンズで、中国チベットへ自由旅行のビザが発行されると聞きつけ、ヒッチハイクなど苦労を重ねて、ラサを訪れた。そこで、パキスタンへの国境が開いたとの情報を入手、タクラマカン砂漠の東北部をぐるっと大回りして、一ヶ月かけてパキスタンとの国境クンジェラブ峠(標高四七三〇㍍)を超えて、さらにインド、ネパールに戻った。その後、スリランカ、モルジブを経て、アテネへと飛んでトルコを経て、ロンドンに三ヶ月滞在した。欧州を観光し、最後はモスクワからシベリア鉄道でイルクーツクへ。空路で日本海側のナホトカへ飛んだ。
 イルクーツク空港でのことだ。ビエンチャン(ラオス)、プノンペン(カンボジア)、ハノイ(ベトナム)、そんな町への定期航空路が、開設されていた。ハッとした。いずれも、当時、自由な旅行が日本人には禁じられていた国々だった。
 89年の壁崩壊、91年のソビエト連邦解体で、旅行の環境がガラッと変わった。東欧、中央アジア、インドシナ三国の旅が、自由に解放された。中国も、辺境部の国境を次々に開けた。東南アジア大陸部の国々が、この二十年で一斉に国境を開放した。中国が政治的に安定し、ラオス、ベトナムへ陸のルートを開けた。ドイモイ政策に乗るベトナムはラオス、カンボジアへ。タイもまたラオス国境のメコン川に橋を架け、中国南西部辺境から東南アジアの中心都市バンコクまで一挙に人やモノ、そして情報の流通が自由化した。カンボジアも、待望のタイとの国境を一般旅行者に開け放った。半世紀以上続いた東西対立による壁が完全に崩壊した。現在、上海に降り立つと、様々な陸路のルートで、ロンドンまで行ける。
 こんな経験もあって95年の阪神大震災でボランティアをした僧侶の友人と、テラ・ネット(Terra Net)という、海外教育支援の団体を作った。お寺で募金を集め、二年間一万㌦で学校を各地に建てる活動をここ十五年ばかりしている。バングラデシュ、チベット、タイ辺境部、スリランカ南部、そしてカンボジアと、学校(寄宿舎)を建てた。こんな活動もあって、私の深夜特急の旅を含め、この25年間で九百日以上海外に滞在した。
 昨年、支援しているカンボジアの首都プノンペンにある「希望の家」を再度訪れた。日本人が個人で運営している孤児たちをあずかる施設だ。東南アジア特有のまったりとした空気が流れていた。孤児たちの元気さ、明るさが本当に嬉しい。東日本大震災では、テラ・ネットは、三度現地に入り活動した。この活動はまだまだ続きそうだ。

| ろんだん佐賀 | 11:33 AM | comments (0) | trackback (0) |

家族への回帰

 未曾有の大震災。震災の惨状に目を疑い、人間の力を遙かに超えた津波の猛威に驚き、科学技術の最先端と称された原発が、大量の放射能をふりまき、発生から半年以上も経っても避難生活者が今も存在する。この震災で多くの日本人が死と向かい合った。いままで考えもしなかった無数の人の死、自分の死を見つめ直す結果となった。死は非情に人間に襲いかかってくる。なぜその人が死んで自分が生きているのか、答えはない。だからこそ日本人は「死者」が生きようとしたことに応える生き方を選ぼうとしているのではないか◆生涯のパートナーを得ようとする人が増えている。都市部の女性を中心に、結婚相談所への相談が相次ぎ、大手相談所では対前年比25㌫増が続いているという。また婚約指輪の売上が、大手デパートで4割増という数字もある(朝日新聞)。来年あたりの国の調査で、婚姻率、出生率の上昇が見られるのではないかと想像する。また雑誌プレジデントの調査では、既婚者の七割(六九・二%)が「家族との時間が増えた」と解答、「より効率を重視して仕事をするようになった」(四五・〇%)「早く帰宅するようになった」(二五・八%)「自宅で夕食を取る機会が増えた」(三〇・六%)など◆伝統的家族への回帰ではないかと思う。これまで自分中心に物事を考えてきた人たちが、家族との繋がりを大事にし当たり前と思ってきたことに感謝するようになった。自分の人生にとって本当に大切なものはなにか、そんな自省が、家族へ回帰する原動力になったのではないか◆仏教の根本思想は「縁起」である。縁起とは、すべての「いのち」はひとつに結ばれ、共に生かし、生かされることである。家族と共に生きること、縁起の思想をふまえた「共生」こそ震災後のキーワードではないかと思う(K)

| @Temple | 04:00 PM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 家族と宗教

「家の宗教」のなにが悪いのだろう?前世紀の後半、この国ではひたすら「個の確立」が求められてきた。自由な主体であるこの「私」の判断が最も大切と教えられてきた。「イエ=家族」や「ムラ=地域」の論理は、近代的自我にとっては桎梏であるとされた。
 宗教の世界でも西欧キリスト教をモデルとした、個人の信仰の必要性が叫ばれた。しかしどうだろう? この世には今、肥大した自我の亡霊たちがあちらこちらに出没していないか?
 家族の絆が弱まろうとしている現代こそ、家の宗教が必要なのではないか。五十歳以上の壮年世代、老年世代の定点観測を続けている博報堂生活総合研究所「HOPE レポート」は、「カギとなる人間関係は、『家族』が一番」と報告する。中高年世代にとって「楽しみとなる関係」は順に、自分の子ども、配偶者、兄弟(姉妹)、孫と続く。家族が拡散しようとも、縮小しようとも、いやそうであるからこそ、伝統的な家庭に居場所を求める意識が強まっている。
 ただやっかいなのは、家庭での食の崩壊だ。子どもや若者に欠食、孤食が常態化した。スナック菓子の朝食、家族がそれぞれ別のコンビニ弁当を食べる夕食、こんな「異常」な食生活がはびこっているという。NHKによると家族そろって食べるはずの夕食よりも、学校での給食を「一番楽しみにしている」と答えた小学校五-六年生が四割近いのだそうだ。
 だからこそ、フォーマルな食の場が必要なのだ。お正月、お盆など年中行事の食の場、また、一周忌、三回忌など伝統仏教が大切にしてきた年忌供養もそうだ。実は、こうした供養の場は「家族の再現」の儀礼だと思う。むろん、経をとなえ、香を焚き、花を供えて亡き家族の一員を追善供養する儀式ではある。しかしそれとともに、かつて故人と一緒に、兄弟姉妹として、また親と子、夫と妻として食卓を囲んだ家族、親族が再び集い、食を共にするという意味こそ、現代社会では重要なのだ。読経、法話をおえ、御斎(おとき)の席に着き、在りし日の食卓を再現する。調理の「火」を共有することが、家族という単位の条件であるならば、定期的にホトケとともに食し合う儀礼とは、連綿と続くいのちの連なりを確認し、家族の親和性を認め合う場であり、また亡き父母の面影を追い、ホトケの前で息子は父のように、娘は母のように生きることを学ぶ場なのだ。また、見えづらくなっている家族のつながりを基礎づけしている装置が、お墓や仏壇だと思う。家族を基礎づけしているのは、宗教性ではないかと思う。
 余談だが、東日本大震災で、生涯のパートナーを得ようとする人が増えているという報道があった。都市部の女性を中心に、結婚相談所への相談が相次ぎ、王手相談所では対前年比25㌫増が続いているという。また婚約指輪の売上が、大手デパートで4割増という数字もある。来年あたりの国の調査で、婚姻率、出生率の上昇が見られるのではないかと想像する。
 未曾有の大災害で、家族の必要を若い人々が少しずつ増えているのではないか。現在三十歳の未婚女性の半分、三十五歳未満の約七割が、生涯結婚せず未婚のまま一生を終え、女性の生涯未婚率は、場合によっては二割を超すことも十分現実的だ(国立社会保障・人口問題研究所推定)というシングル社会の一定の歯止めになってくる可能性を信じたい。

| ろんだん佐賀 | 11:42 AM | comments (0) | trackback (0) |

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