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ポクポク木魚No.32 不安性障害

 お恥ずかしいことですが、六月ひと月、とある神経症で、近くの病院に入院しました。ひと月の療養で、退院して今は元気で、お寺のお仕事に精を出しています。
 これまで、一週間以上の入院経験もなく、健康で過ごしてきたのですが、入院当初、二~三か月の入院加療の必要があると聞いて目の前が真っ暗になりました。八十八歳になる父にお寺のお仕事をすべて任せられるのか……さまざまな問題が頭を巡りました。家族の理解もあって、入院を決断しました
 当初鬱(うつ)病の疑いで、入院したのですが、ありがたいことに、「うつ」ではありませんでした(まぁ、うつ病も十人に三人はかかる風邪のようなものですが……)正式な病名は、「不安性障害」と「アルコール性障害」。要するに酒の飲み過ぎですな。
 鬱病の疑いで、入院したもので、ベルトや靴紐など長いものはすべて没収され(鬱の場合、自殺の可能性があるので)、閉鎖病棟(要するに看護婦さんに鍵を開けてもらわなくては外に出ることは出来ない病棟)に入院しました。悲しかったですね。
 長年、寝酒の習慣を持つ人が、急にお酒をやめると、幻想や幻覚が出る「譫妄(えんもう)」と言う症状が出るかも……、と医者に驚かされましたが、嬉しいことにそんな症状もなく、一ヶ月の断酒に、たばこも一日十本までの制限。規則正しい食事と投薬で、元気になって退院しました。
 考えてみると、療養生活って、全くのストレスレス状態ですね。仕事の電話もなく、人間関係で悩むこともなく、ストレスが全くない状態。入院当初は、かなり反発はありましたが、なれてしまえば極楽のようなもの。好きな小説でも日がな読んで過ごし、一日三回、しっかりとお経を読んでいました。
 慣れてくると、病棟の人間模様が少しずつ分かってくるものです。統合失調症という、人によっては回復が難しい病気で、三十年以上、その病院に入院している人、なんにもストレスもなく幸福そのものだったのに鬱病が表面化して入院している人、病気の「差別」もあって、父親の通夜・葬儀にも出ることが、親戚から禁じられて、鍵のかかった入り口でずっと待っている人、いろんな人間模様が、見えてきました。
 私自身は、この入院を、仏さまからいただいた休暇ととらえようとしました。多久に帰ってきて三十年、平均寿命の八十五歳まで三十年、ちょうど折り返し点のひと月で、来し方行く末をゆっくり考えていく良いきっかけとなったと思っています。
 ちょうど佐賀新聞に論壇を連載していることもあって、「人の死」とは何かとか、「家族の死とは」とか、あれこれ、考えていましたし、また、やっと、長男が僧侶の資格を年末に取るようになったので、専称寺の行く末なども考えていました。
 まぁこれまで仕事のしすぎもあったので、ゆっくり出来る範囲でお寺のことを中心にやっていこうと思っている次第です。今後ともよろしくお願いします(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:52 AM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 5 生死観の喪失と再生②

 ある人類学者は、この国の死についての意識を、こう記した。「現代社会は、ごく近い将来自分が確実に死んでいくこおとを悟った人がいだく疎外感を解消するような、文化的な装置を失った」(『日本人の死のかたち』朝日新聞社刊)。終末期における延命治療も「死なないことよりも大切なことがない」(同書)。果たしてそうだろうか?
 この四月、乳がんで亡くなった元キャンディーズの田中好子さん(享年55歳)が、逝去するひと月前に録音された音声が、葬儀の場で流されたニュースを覚えてらっしゃる方も多いだろう。「こんにちは。田中好子です」で始まる声は、こう続いた。「必ず天国で(東日本大震災に)被災された方々のお役に立ちたいと思います。それが私の務めだと思います。妹夏目雅子のように支えて下さった皆さまに、社会に少しでも恩返しができるように、復活したいと思います」「幸せな幸せな人生でした」。かすれるような弱々しい声ながら、きっぱりと自らの死を見つめ、いわばホトケとなって、現世に還り、恩返しをすると誓っている。
 死について学ぶ死生学の創始者ともいうべきキュブラー・ロス(1926-2004)は、死に至る心の変わりようとして五つの段階「否認と隔離」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」とした。そこで受けいれられる死とは現実世界との完全な分離であった。しかし五十歳代後半になって彼女は、主として子どもたちの死の臨床に立ち会い重大な立場の変更をする。死を迎える子どもたちが、「蝶」に身を託してこの世を去る事例の多さを語り、マユ(つまり肉体)を離脱するように死に行くという(『続・死の瞬間』)。つまり死に至る最期の段階に「希望」を置いたともいわれる。人生の最期に希望を刻印する科学者たる彼女の変化は、近代の他界観の再生に大きな影響を与えたともいわれる。
 京大教授で宗教学のカール・ベッカー(1951~)は、最終的に「生死の意味を求める存在」が人なのだという。人生のラスト・ステージで人はなにものかとつながりを求め、自分なりの意味を創造しようとするという。彼は、研究の積み重ねのうえに、死後の存在を否定するだけの態度は学問としても「幼稚である」と断言する。
 終末期医療などさまざまな現代医学のタブーをつく漫画「ブラックジャックによろしく」(講談社、佐藤秀峰著)が、広範な若者に支持されている。主人公の若い研修医は、末期ガン患者を前にこう叫ぶ。「死とは一体なんですか?死とは敗北ですか? 死は絶望ですか? 死とは不幸で否定されるものでしかないのですか?」。抗ガン剤治療など医師としてぎりぎりの選択を続けながら主人公は死と共存する医療、ホスピス(ビハーラ)など終末期の死の心理的、身体的痛みを緩和するケア病棟を指向する。「生と向き合う事は死と向き合う事と同じ事ではないですか」「私たちは誰も独りなんかじゃない」。作者は主人公にこう言わせている。
 田中好子さんの事例は、古来より日本人が持っていた他界観の典型例である。つまりこの世(此岸)からあの世(彼岸)へ向かい(往相)、そして極楽世界からこの世に戻り、慈悲あふれる菩薩道を行う(還相)。中世より、カトリックの修道士はあいさつに「メメントモリ」という言葉を使う。意味は「死を想え」である。生のなかに常に死をはらみ、死を想うことの重要さに私たちは気付かなくてはならないと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:28 AM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 4 生死観の喪失と再生①

 日本人は、東日本大震災で、二万数千人という大量の死を共有した。戦後の混乱期以来の膨大な犠牲者の数である。「がんばろう日本」のかけ声とともに各地で復興へ様々なイベントが行われている。同時に、横死した犠牲者への追悼の儀式で、合掌する人々の姿が数多く見られる。この国の「死のかたち」は、三人称の死については案外と寛容である。地域共同体が崩壊しつつあるとはいえ、知人、親族の死に際し、葬儀には数多くの人が詰めかけ冥福を祈る。
 二人称の死、つまり「あなた死なないで」と呼びかけることの出来る縁者(家族)の死についてはどうだろうか。「佐賀のホスピスを進める会」(宮本祐一代表=元県立病院好生館副館長、会員96人)は、医療関係者、僧侶、主婦らからなる、好生館緩和ケア病棟(ホスピス)のボランティア団体である。毎週、ホスピスで、末期ガンなど終末期の患者さんへ傾聴ボランティアをするとともに、9年前から多久東部中で「生と死の準備教育」を、年間6回行っている。筆者も会員の一人で何度か、生徒たちとのワークショップに参加した。現代の子どもたちは、伝統的家族の縮小で、身近なもののリアルな死を経験したものが少ない。死そのものの意識が不在である。そんな子どもたちに、いかにして人生の終末を教えるか。
 「あと半年の命といわれたらどうする?」。数人の班に分け、ゲーム形式でワークショップを始め、そんな質問をする。「あと十日の命だったら?」「あと三日後に死ぬといわれたら?」。様々な答えが返ってきた。しかし、話しを繰り返しているうちに「お父さんといたい」「お母さんといたい」をいう返事が増えてくる。死に際して家族の縁、絆の発見を子どもたちは体験する。縁に結ばれて、死を迎えることの重要さに気づく。
 何度かの同会による授業の後、毎年12月には、好生館のホスピスへ中学2年生全員が訪問し、患者と交流をする。死期が近い患者へ、メッセージを添えて一生懸命作ったグリーティングカードを渡し、歌を歌ったり、お話を聞いたりする。涙を流す子どもたちも大勢いる。中学生は、この体験で目の前に命と直接向き合う人がおり、死の苦しみを自ら経験し、死のリアリティを学ぶ。同会の平川義雄事務局長(白石町大弘寺住職)は「死が観念的に過ぎなかった子どもたちが、現実として死が存在することを知り、死にたいし畏敬の念が芽生える」という。
 東日本大震災の大量の横死者の苦しみにたいし、現代日本人の他界観・生死観が試されている。生死を隔てても、縁が切れることはない。死者との縁を、人は持ち続ける。二人称の死にたいし、「ホトケ」という、極めて楽な場所(極楽)にいるもう一人の家族が増えると思うことが出来ないだろうか。我々を守ってくれる「ホトケ」が、死を超えて、存在すると、思うことが出来ないだろうか。団塊の世代が80歳代になる20年後の大量死の時代をひかえ、日本人の他界観が、「死が生と連続」するものだと信念を持ち、畏敬の念を有する宗教性を帯びることが必要だと、心から思う。
 ある僧侶は、自らも末期ガンとなり終末期の手記のなかで、ホスピスで一緒だった患者仲間から「死んだらどうなるのか」と尋ねることが多く、必死で仏教を説いたと書いている。「一人称」の死が、人間にとって、さらには宗教者にとっても究極の課題である。次回に詳述したい。

| ろんだん佐賀 | 11:26 AM | comments (0) | trackback (0) |

横難横死に

 東日本大震災で、日本人は二万数千人の死を共有した。戦後の混乱期以来という未曾有の災害だ。各地で、犠牲者、行方不明者の追悼の儀式が行われている。横難横死の人々に対し、一心に祈っている姿がマスコミでも紹介されている◆この悲惨な災害が、日本人の死生観、他界観に決定的な変化をもたらすのではないかと思う。だらだらとした日常のなかで、「生きていることのみ重要で、死は棚上げにして考えない」という日本人の風潮が変わる。延々と続くがれきのなかで、数多くの死を目の前に突きつけられ、死を常に考え、死とは何か、死とともに生きることを考え始めた。法然上人の時代も、戦乱に明け暮れ災害も頻発した。死が身近にあった時代だ。京都・祇園川のほとりに、死体が散乱していたという。そんな死が横溢していた時代に、上人は南無阿弥陀仏と申すすべての人の浄土往生を説いた。法然上人はこう記した◆「人が死ぬときのことなど、日ごろの考え通りにいくものではありません。往来で突然倒れて死んでしまうこともあれば、お手洗いで用を足している最中に死んでしまうこともあります。これまでの行いに端を発して、刀などで切られて命を失うこともあれば、火事のために、あるいは水におぼれて命を失うことも多くいます。しかし、たとえ、そういう死に方をしても、日ごろからお念仏を称え、極楽へ往生したいという心さえ持っている人ならば、今まさに息が絶えようとしているそのときに、阿弥陀さまは観音菩薩、や勢至菩薩と共にお迎えに来て下さると信じ、思い定めるべきです」(往生浄土用心)◆犠牲者に祈る日本人の意識に、震災の犠牲者が犬死にではなく、死後の安寧を求める思いが、胚胎し始めたのだ。往生を求める浄土観の復活の始まりだと思う。(K)

| @Temple | 03:58 PM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 3 変わる死のかたち

 佐賀県は昨年4月、自立して暮らすことが出来る健康年齢(07年現在)を発表した。これによると県内男性が76・79歳、女性が82・06歳だ。問題は、寝たきりや認知症などで誰かに依存して暮らすことを余儀なくされる平均寿命との差である。これが、男性は1・89年、女性にいたっては4・25年もある。人生の最期をいかに過ごすか、具体的にいうと誰に世話をしてもらうか。かつて共同体として堅固であったイエ(伝統的家族)やムラ(地域共同体)の崩壊とともに、これが非常に大きな課題となっている。宗教者として死の現場に立つことも多く、そのかたちが大きく変わったことを実感する。
 死はかつて、家族とともにあった。家族の成員の老いを自宅で介護し、家族全員が、その死をイエの座敷で看取った。三世代家族が健在のころは、祖父母、父母の死に寄り添い、死を自然なものとして、学ぶことができた。死を「お迎え」と表現したように、生の延長上に死は存在した。また葬送は、長年生きてきた自宅で、ムラの相互扶助として行い、共同の墓地に埋葬された。いわば、死が家族にも村人にも共有されていた。
 前回述べたように、老いや死が家庭から放逐される生老病死のアウトソーシング(外注化)の時代、老人施設で老い、病院で死に、斎場で葬儀が行われる。昨年、厚労省が発表した人口動態統計(06年統計)によると、83・1%が、病院・診療所・保健施設で亡くなり。自宅で最期を迎えることができたものはわずか12・2%に過ぎない(自宅といっても前回詳述したように半数以上は単独世帯、二人世帯であり、こここには孤独死も含まれる)。同省の厚生白書によると、89・1%が自宅で最期を迎えたいと希望していたにもかかわらずである。現代人にとって、身近な者の死が縁遠くなり、死が自然ならざるもの、なにか異様なものとして、認識されていないだろうか。死の学びの場所がなくなって、健康幻想と相まって、死をできるなら考えたくないもの、なにか畏怖すべきものと考えていないだろうか。
 さらに大量死の時代がすぐそこまでやって来ている。厚労省の同統計では、09年の死者数は114万人あまり、それが国立社会保障・人口問題研究所の最新の推定によると、団塊の世代が80歳代になる30年には、4割増の163万人に増える。それに加えて、5人に1人が生涯独身というシングル社会も到来する。昨年1月放送されて大反響を呼んだNHKの番組「無縁社会」で公表された身元不明の行き倒れなど「無縁死」年間3万2千人という衝撃の数字も含め私たちは、死の無縁化の始まりの時代を生きているのではないか。
 死を生のなかの「異物」としないためにも、身近な者の老いや死に対し、徹底的に寄り添うべきだと切実に思う。独りで死ぬことの悲しみは死者本人が一番知っているはずだ。だからこそ、いずれ自らも通過する死を疑似体験するためにも、また家族や地域のかたちが変わろうとも、老いや死の苦しみをいたわり、家庭で共に時を過ごす努力をしなくてはならないと考える。「在宅ホスピス」など、イエで最期を看取れるインフラ作りも急務だろう。さらに、死を教える宗教的言説にも、少しは謙虚であってほしい。「死は自然なものである。死は生から断絶したものではない」。そう教える様々な宗教の教えに学ぶものが多いのではないかと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:17 AM | comments (0) | trackback (0) |

ポクポク木魚 NO31 イスラエル・パレスティナ

 前にもここに書きましたが、浄土宗平和協会の事務局長のお仕事をしています。お寺から会費や寄付をいただいて、留学生に書籍をプレゼントするブックギフトという活動や、世界で活躍するNGOに資金を提供することなどをしている団体です。その活動として、スラエル・パレスチナに行ってきました。
 イスラエルの都市エルサレム、いうまでもなくイエスキリストが、磔(はりつけ)にあい、そして復活した場所です。それだけではありません。わずか一キロ四方に満たない城壁で囲まれた旧市街は、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教の聖地が存在します。「嘆きの壁」(写真)では、ユダヤ教徒が一心に何かを壁に向かって訴え、すぐ向こうの「岩のドーム」では、イスラム教徒が敬虔な祈りを捧げていました。イエスが最後の晩餐をした場所、ユダの裏切りで死刑を宣告され十字架に磔になり歩いた「ピア・ドロローサ」もすぐ近くにあります。イエスの歩いた道を、賛美歌を称えながら涙を流して歩くキリスト教徒も大勢見ました。宗教に充ち満ちていました。信仰の凄みを肌で実感しました。
 パレスチナは、イスラム教徒の土地です。イスラエルが建国されたために、難民となった人がたくさんいらっしゃいます。そこで活動するNGOの活動を視察しました。現在イスラエル政府によってすすめられているのが、「分離壁」(写真)と呼ばれる土地分離政策です。東西対立のベルリンの壁は崩壊しましたが、ここでは数千キロにわたって見上げるような高い人種差別の壁が、建設されていました。現在も、パレスチナ自治政府とイスラエルとの間で、テロや部分的な戦争が繰り返されています。民族・宗教の違いで、こうも人間は非情になれるのだと感じました。ただ、難民になって五十年以上経つキャンプを訪れて、食事をいただいたのですが、パレスチナの人々の笑顔に救われました。
 わずかな字数で、なかなか表現できないのですが、宗教に満ちた土地を歩いてみて、私自身もっと信仰に誠実であろうと、考えてしまいました。
(住職独白)

| ポクポク木魚 | 09:00 AM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀 2 縁こそすべて

 仏教は、自我を否定し,「縁」こそすべてと説く。地縁血縁という言葉がある。かつて、地域(ムラ)と家族(イエ)という共同性の中で人は生きてきた。前回、ムラ(地縁)の崩壊について書いた。今回はイエ(伝統的家族制度=血縁)が崩壊している現実を指摘する。
 昨年10月行われた国勢調査の速報が、自治体レベルで公表され始めた。佐賀県も昨年12月末、第一次速報を発表した。それによると、佐賀県も世帯の平均人数が3を切った。2・88人だ。10年調査では、まだ最終報告の数字が出ていない。05年全国調査で、家族の崩壊を検証する。世帯構成人数で一番多いのが、2人世帯28・2%、次いで単独世帯24・6%。この二つで半数を超える。平均で2・55人だ。未婚率の上昇も止まらない。同調査で30代前半男性の未婚率は、47・1%、同後半で30・0%、80年代からじりじり増加している。国立社会保障人口問題研究所は「現在30歳の未婚女性の半分、35歳未満の約7割が、生涯結婚せず未婚のまま一生を終える」と推定し、さらに「女性の生涯未婚率は、近い将来15%を超え、場合によっては2割を超すことも十分現実的。5人に一人は一生独身という社会がおとずれる」と分析する。離婚率もじわじわと上昇を続けている。厚生労働省の人口動態統計(09年度)によると、婚姻数が約71万組、離婚数が25万組、乱暴な表現になるが、実に夫婦のうち三分の一が離婚しているということになる。「無縁社会」「シングル家族」到来の現実だ。
 三世代同居も大幅に少なくなった。同省の国民生活基礎調査(05年)によると、全世帯の9・1%しかない。その代わりに単独世帯が年々増殖している。伝統的家族の特徴である「家名」「家産」の同一性の保持などとうてい困難になり、ましてや「おふくろの味」など「家庭内の伝承」が、幻想に過ぎなくなっている。
 釈迦は、人生を「苦」と説いた。「生老病死」の四苦である。かつて、人生の実相=苦しみすべてが、家庭内にあった。家庭内で出産し(生=生まれる)、老い、病み、そして死んだ。家族は、これららの苦しみを間近にし、生死,そして命のあり方を学んだ。しかし現代、これらはすべて家庭から出て行った。産院で産み、老人施設で老いを過ごし、病院で病を治し、そして死ぬ。葬儀までも、斎場で行われる。産みの苦しみも、老いや病の苦しみ、そして死苦も家庭から追放された。縮小した家族は、苦を共有できる場ではなくなった。「四苦のアウトソーシング」という事態が完成した。(昨今の殺人など、凶悪犯罪の増加は、幼少時に人生の実相=苦をしらずに育った世代の増加も関係しているのではないか。)そしてそのすべてが税金・私有財産=貨幣で決済される。縁とは、本来、金銭で買えるものではない。しかし、現代家族は、縁までも金で決済しようとしているのではないか。
 縁の復活はないのか。筆者は、各種の儀礼こそ、縁再生の最重要要素だと考える。正月やお盆に、縮小する世帯を超えて、家族やかつて家族であったものが再会し、一つの食卓を囲む。結婚や葬送の儀礼もそうだ。また村祭りで、地域の成員が一堂に会し、時には酒を酌み交わず。筆者は、かつての大家族、つきあいが複雑な村の復活を願っているのではない。縁の保持こそ、縮小する家族、崩壊する地域社会の中で重要だと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:12 AM | comments (0) | trackback (0) |

ろんだん佐賀1 ムラの崩壊と再生

  「私はこの町に生まれた。だからこの町に住んでいる。私の子どももこの町に住むだろう」。同語反復にも似たこの言葉が好きだ。高度成長時代と違い、現代社会は定住社会へと向かっている。しかし、共同性を特徴とした「ムラ」社会が根底から崩壊し始めている。集落として成立できない地域が、増殖している。定住社会以前の問題が、顕在化している。筆者が住む多久市を例にとってケースワークとしよう。
 多久の人口は、11月末現在で21878人(住民票ベース)だ。昭和29年の市制施行当時から半減した。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が五年ごとに発表している「日本の市区町村別将来推定人口」(08年12月)によると、高齢化率がもっとも進む35年には人口15551人と05年比で68・4%と激減する。佐賀県全体で見ても、同年比82・1%の減少だ。問題は共同性を持つ集落が、崩壊している点にある。多久市には特老ホームなど定住施設を除外すると、107の集落がある。限界集落という概念がある。65歳以上の高齢者が、人口の半数を超え、自治、共同施設の管理など共同体としての機能ができずやがて消滅する集落とされる。多久ではすでに、4集落が限界集落に転落した。自治機能を、複数の集落で合併して行っている地区もある。世帯数10戸以下の集落も10存在する。
 高齢化率の増加も著しい。総務省統計局の推定で今年の全国の高齢化率は、23・1%だ。多久市は、同27・1%、この数字は、日本の10年後の数値とほぼ合致する。社人研の同調査によると35年に多久は高齢化率38・6%、05年比で、年少人口6割減、生産年齢人口も4割減となる。恐ろしい数字だが、現実を直視しなくてはならない。よほどの社会事情の変化がない限り35年ごろまでには2ー3割の集落が自治不能となってしまうだろう。
 多久は森林と水田に囲まれ一見すると「ムラ」に見える。しかし農家が激減した。今年行われた世界農林業センサスでは、主業農家が175戸しかないのだ。全世帯数のわずか2・2%だ。伝統的に農家は地域の共同性を重視してきた。水田の水管理など農はかつて、ムラ社会共同性の中心を担ってきた。その農家がいないのだ。もはやムラの崩壊と言っていい事態である。これらの数値は多久だけの傾向ではない。県内の山間地、中山間地と呼ばれる自治体すべてに共通するものなのだ。
 ムラの再生はあり得るのか。筆者は、十年前から「ゆい工房」というボランティアによる地域の生涯学習団体に参加し、寺のギャラリーを講座やコンサートに提供している。先月、全編オリジナルのミュージカル公演を制作し、大ホールが満席になるなど大成功した。市民の出演者も客席も感激の舞台だった。昨年からは、県警主催の「子どもの居場所作り事業」に寺を開放している。幼児虐待や性犯罪の被害者、非行経験を持つ子どもたちとボランティアが、一晩を過ごし語り合う会だ。これらのボランティア事業に参加してよく分かることだが、人と人との濃い関わり合いがそこに生まれていることに気付く。かつてはムラが担った共同性が、そこに発生している。
 多くの自治体、集落のダウンサイジングは必至だ。だからこそかつての青年団、婦人会に代わり、こうしたボランティアなど、市民同士が関わり合いを持つ基盤づくりが急務ではないか。地域の芸能、文化、福祉などを担うNPO作りが急がれるのではと思う。

| ろんだん佐賀 | 11:10 AM | comments (0) | trackback (x) |

ポクポク木魚No.30 三月に「てらおん」

ポクポク木魚

三月に「てらおん」

 MOYAiの57号にも書きましたが、ことし十一月の多久ミュージカルカンパニーによるミュージカル「とうげのおりゅう」は大成功でした(写真)。脚本、音楽ともオリジナル、出演は市内のみなさまへ公募というスタイルで果たしてどうなるかと心配の毎日でしたが、なんと、二回公園で二回とも会場の多久市中央公民館大ホール(定員五五〇人)が、満員になる大盛況。涙を流す観客も多く見られるなど、出演者、観客ともども会場全体が感動の渦でした。お手伝いをした私も、ウルウル状態で、もしこの文章を読んでらっしゃる方で、入場された方には紙面を借りて御礼申し上げます。この勢いで、来年も昭に講演をする予定ですでに、企画会議を始めております。

 そのミュージカルの音楽を担当したシンガーソングライターの弓削田健介さん(佐賀市)、比留間光悦さん(福岡市)を迎えて、来年三月五日(土曜日)午後六時から、専称寺で定例になっている音楽会「第三回むらおん」を、今回はギャラリー三蔵堂ではなく、本堂で大規模に開こうという計画が立ち上がりました。お寺の音楽会という意味で「てらおん」ですね。

 お寺はかつて、単なる宗教施設ではなく、芸能、文化、学問の中心地でした。東京・浅草の浅草寺、長野の善光寺、大阪の法善寺など、お寺を中心に市街地ができた例など全国各地にあります。また、「寺子屋」などという言葉が残っているように、駒澤大学、名古屋の東海学園など寺子屋から出発した大学・高校も全国至る所ににあります。また病院、福祉施設も同様です。「寺銭」という言葉は、賭け事の場所代という意味ですが、江戸時代は、お寺を中心とした繁華街で、ばくち場も開設されたのでしょう。様々な文化、経済の情報がお寺から発信された時代が長く続いたものでした。

 そんな意味も含めて、専称寺では現在、住職もスタッフとして参加する生涯学習ボランティア団体「ゆい工房」による様々な学習教室が、ギャラリー三蔵堂で開かれて、一般市民の方々がお寺の環境が「学びの場」となっています。

 今回の「てらおん」もその意味で、専称寺本堂のご本尊の前で、ミュージカルで歌われたナンバーも含め、一時間半の崑佐アートを開催、お寺を地域の文化情報の発信地とする予定です。是非、聞きに来ていただければと思います。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 04:55 PM | comments (0) | trackback (0) |

いのちの終わりに感謝

 人生の最後をどう迎えるか―そんな話題が、ここ数年、マスコミを賑わせるようになった。世間の潮流を作るといわれる団塊の世代が、高齢者の仲間入りを始めたからだろう。ついにというか、Jポップの世界でも、死とその別れをテーマにした曲が昨年、大ヒットした◆シンガーソングライター植村花菜(27)が歌う「トイレの神様」である。この曲は、小三から二十三歳ぐらいまでの「おばあちゃん」との交流とその別れを歌い上げたもので、ポップスの世界では異例の十分近い自伝的大曲である。昨年一月、FM局で流れ、即座に大反響を呼び起こし、三月にはアルバムにも収録され、植村さんはNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。小さなころ、祖母からトイレには女神様が住んで、いつもきれいにしたら「べっぴんさん」になれると教えられた。思春期になった彼女はおばあちゃんとぶつかり、そして上京し歌を歌い始めた。そのおばあちゃんが、入院していのちの終わりを迎えそうになった。見舞いした翌日、亡くなった。「恩返しもしてないのに いい孫じゃなかったのに」と悔やむ。◆人の死は、感謝である。仏教は「我」特に、執着、我執を否定し、人は縁に生きると教える。様々な絆、縁のなかで私たちは生かされていると教える。その縁、特に家族としての縁に感謝する場が葬儀である。むろん、弔いの儀式は、死者を追悼し、涅槃、特に西方浄土におもむかせる儀式である。しかし、本人にとっては自らの生、それを支えてくれた縁に感謝し最期を迎え、葬送の儀礼は参列者が、追悼の誠を捧げるとともに、個人とのご縁に感謝する「ありがとう」「さようなら」の儀式だと思う◆「トイレの神さま」の最後は「おばあちゃん ありがとう」の繰り返しで終わる(K)

| @Temple | 03:57 PM | comments (0) | trackback (0) |

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