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プナカ・ゾン(プナカ郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 巡礼の旅がそろそろ終わりに近づいた。「古寺巡礼」四十回の連載は、ここ二十五年間、四十回、約九百日の寺参りの旅日記をもとに、書き継いできたものだ。妻と五百五十日にわたるユーラシアの旅であったり、国際交流の仕事でツアーのお世話をしながら、業務を離れちょっとお寺に立ち寄ったこともある。親しい友人と数人の場合も、独り旅のこともあった。巡礼とは、ロードムービーだと思う。歌舞伎でいうと「道行」だ。寺参りが目的だが、その途上で様々な物語が発生する。事故や病気、自らの心に生起する不安感、高揚感、満足感……。連載では、そんな道行での些細なことを、できるだけ記そうと思った。
 四半世紀、亜洲(アジア)仏教旅の事情も大きく変わった。八〇年代から中国が、九〇年代になると順にベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーと自由な個人旅行が許されるようになった。あれだけ優しく旅人を受け入れていたネパールは、政変で旅に危険を伴うようになった。〇八年チベット動乱でこの地区の旅が制限された。あいかわらずアフガニスタンの旅は個人には無理だ。アルカイダの台頭で、入域禁止となったパキスタン北西部の谷、中国―パキスタンを結ぶクンジェラブ峠は、崖崩れで不通のままだ。
 最後の旅は、ブータンにした。この国に着いて翌朝、朝六時首都ティンプー(標高2320メートル)。宿の窓を開けて、いつものようにコーヒーを沸かす。大通りに人が歩いていない。たまに見かける人も、動きがどこかゆったり見える。ゴ(男性)、キラ(女性)という民族衣装の人が大半だ。中国、東南アジアだって、南アジアだってどこも、早朝から都市では激しい人出に出会う。急成長の国家群、アジアの喧噪とはそういうものだと思っていた。しかしこの国だけは違う。そうか、この国はGNPならぬGNH(国民総幸福量)を目指す国だった。経済発展より、仏教の教えに忠実な心の平安を目指すと国際社会に表明した国、開発より自然環境保護を第一とするスローライフを標榜する国だった。ヒマラヤの大自然に抱かれた九州程度の国土に、わずか六十万人が暮らす小さな国。ホッとする自分に気づく。
 ゾンとは、寺と役所が一体化した施設だ。仏教による祭政一致ならではの形態だ。小豆色の法衣をまとう僧侶と、民族衣装をピシッと着こなす公務員が、ともに過ごす。首都には国家のゾンが、県庁所在地には県のゾンが見晴らしの良い中心部に必ず存在する。
 プナカ・ゾンは、首都から山道を三時間ほど車で飛ばした町プナカ(標高1350メートル)郊外、川の合流点にそびえ立っていた。冬の間だけ国王、僧侶が過ごす行政の中心でもある。屋根付きの橋を渡り、正面の急な階段を上ると、石畳の内庭中央に大きな菩提樹がある。回廊の手前は、どうやら裁判所らしい。広場を中心に様々な役所が配される。奧に進むと小僧が、巨大なホーンで法要の練習をしていた。さらに進むと講堂では幼い小僧が僧から経の講義を受けていた。主殿には仏陀、脇にチベット仏教で尊崇を集めるパドマサンババが祀ってある。早春三月、中央の巨大な宝座に、国王がましまして、ドムチェ・ツェチュと呼ばれる祭が開筵(かいえん)される。ふと、ラサのポタラ宮を思い出す。ポタラには主人はいない。祭祀や行政の中心であることを強制的に廃された喪失の宮殿、空の王座(みくら)の宮殿だ。しかしここは違う。リアルに仏教が息づいている国家だと思う。

マニ車を手に巡礼する(ティンプーにて)

小僧の学習(ワンデュポダン・ゾンにて)

  

巡礼メモ

 ブータン唯一のパロ空港には、ドゥク・エアだけが乗り入れる。日本からはバンコク乗り換えが便利。首都ティンプーまで車で一時間。プナカまでは同三時間半。ビザ取得のため全ての旅程を入国までに決定する必要がある。