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中国

崇聖寺三塔(大理市・中国雲南省)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 十五年以上前のことだ。西南中国四川省の都市成都から雲南省の小数民族の町大理を目指した。ニワトリや豚、タンス、長持の類も一緒、定員四人のボックスに十二人いる混乱・成昆鉄道硬座(二等車)で二十六時間。一睡も出来ず雲南省の省都昆明に降りた。バスで高原の悪路を十時間と三十分、どうにかこの街に着いた。とても体が痛む。
 漢民族の版図を離れたことが分かる。唐代・南詔国の首都、家も服も違う。煉瓦作りから木の家が増えた。白や原色の民族衣装の人々もいる。古城には南北の城楼門や条里制がそのまま残る。道の側溝には清冽な水が流れる。泊まりは古代の城郭のなかにある安ホテル「大理第二招待所」、ここには日欧豪あたり、それに香港のバックパッカーが四十人はいるだろうか、一ヶ月以上の長逗留組も多そうだ。晩秋、高原の冷気が心地いい。旅装を解き久しぶりにくつろぐ。
 翌朝、レンタサイクルを借りて中国の代表的な層塔である崇聖寺の三塔に参る。中にそびえるのが「千尋塔」と呼ばれる仏塔である。中心部が優美にふくらんだ十六層の四角形、白亜の建築だ。高さは七十メートルを超える。近寄ると、想像以上に高く、精密にできていることが分かる。
 仏教文化の花が咲いた中国古代の地方政権南詔国。玄宗皇帝・大唐帝国との戦い、そして楊貴妃との悲恋は白居易の「長恨歌」に詳しい。戦乱をくぐり抜け繁栄の時代を迎えて、この千尋塔が唐代末八三六年に建立された。後に南詔国の版図を受け継いだ大理国の時代、十世紀になり多くの仏塔と共に残り二つの仏塔も建てられた。大理古城は、元朝フビライに襲撃を受けるまで三百十年間、二十二代にわたり雲南地方の中心として栄え、「楪楡(ようゆ、大理の別名)三百六十寺、寺々夜半皆鳴鐘」と詠まれた。
 三塔の向こう側の空が、異様なほど青く澄みきっている。そのまま宇宙に繋がっていると実感できるほど蒼い。四千百メートルを最高峰に三千五百メートル級の山々が、塔の向こう側、湖の対岸に連なる。山に緑がない。赤い岩が露出している。湖の方に自転車を走らせた。坂を下る。白い息を吐きながら、どんどん駆け下る。湖の名は「じ(さんずいに耳)海」。水の色が紫色に映える。その色が目にいたい。港に船が着いていた。原色の髪飾りをつけた白(ぺー)族若い女性が数人、降りてきた。
 蒼い空、赤い山、紫の湖、そして民族衣装の女たち、突然ふと夢幻の別世界に来てしまったのではないかという思いに駆られる。風景も人も違う世界に迷い込んだ不安、地面に足がついていずどこかぶよぶよとしたものの上を独り歩いているような感覚、日本から遙か遠くに来てしまったという焦燥、一瞬のうちにそんな思いがよぎった。
 「不安」は信仰に似ていると思う。居心地のよくない感覚に浸りながら独りたたずみ、そして何か美しいものにひかれる。遠くにある異様に美しいもの、?海の空と水の美しさに、つい手を合わせる。玄奘三蔵、法顕、義浄ら古代中国の大旅行家・仏教僧らも、大自然に抱かれながら素敵な体験をたくさんしたのだろうなと思う。旅が激しければ激しいほど、不安も深く、同時に信仰のかたちも広がったのではないかと思う。

仏塔、湖を背景に畑を起こす

少数民族の少女たち(大理)

巡礼メモ

 成田からは週2便、省都昆明まで直行便が就航中。他に上海、ソウル、香港などを経由する。昆明〜大理は毎日5便以上就航。バスでも現在は5時間程度で到着する。近年、鉄道も開通、一日一便運行。