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中国チベ
ット

タシルンポ僧院(シガツェ)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 四国八十八カ所のお遍路さんが、近年めっきり変わった。飛行機とバスを駆使して、インスタントのツアーが主流になった。「同行二人」と書いた笈摺に手甲、脚絆姿で歩く巡礼旅がめっきり減った。巡礼は、やはり長い時間をかけ、苦労して廻らねばと思う。道程こそ、重要なのだ。険阻な道、雨風、病を克服して歩くことこそ、寺巡りの意味がある。法悦がある。苦労して寺に着き拝む仏さまのお顔が、労苦を吹き消す。
 チベット仏教を代表する寺であれば、ゲルク派総本山で、解放軍侵攻以降の荒廃から復興しつつあるガンデン僧院、セラ僧院やラサの中心に位置し強い信仰を集めるジョカン寺が挙げられよう。タシルンポ(一四四七年創建)は、チベット第二の都市、ラサから二百キロ西のシガツェに建つ。歴史的に、ゲルク派にありながら法王ダライ・ラマと微妙な緊張関係にあったパンチェン・ラマが一六世紀以降歴代、住持した。中国との関係に翻弄された寺でもある。
 十数年前、中国・ネパール間の国境が開いてまもなく、ヒマラヤ超えでラサを訪れた。その途上この寺に初めて参った。ネパールの首都カトマンズからバスで国境へ向かった。バスは国境まで着かず、トラックの幌の上で川伝いに緑の谷を駆け上がった。牛小屋と見まがう出入国管理事務所で、旅券に出国印を受け、国境の橋を歩いてわたり、中国(チベット)国境の町へ入る。バス待ちで二泊した。
 川底も見えず、峰も遙か彼方という巨大な谷にへばりつくつづら折りの隘路をバスは進んだ。緑の広葉樹林は、いつのまにか灌木だけに代わり、岩と石ころが露出する壁のような山塊に劇的に変化した。高度二千三百メートルの国境の町から、五千二百メートルの峠まで、わずか半日、空気も激減し息苦しさをおぼえる。雲がすぐそこにある。天が降りてきたようだ。空気が乾燥した。遙か向こうの山塊に数百頭の羊が、ごま塩のように見える。高原の荒野を馬にまたがったチベットの人々が、ロバを従えて歩む。胸苦しさと反対に気分は高揚した。小さな村でバスを降ろされる。ヒッチハイクのトラック待ちで道ばたの食堂で寝袋にくるまり一泊、シガツェまで四日かかった。
 タシルンポに翌朝お参りした。迷路のような寺だ。身をくねらせる密教の仏を祀る暗い部屋を抜けると巨大な釈迦像が鎮座する巨大な堂宇、大麻のにおいに似た青臭い香がくゆり満ちていた。現存する世界宗教のなかで唯一、性の秘儀を教義の奥深くに取り込んだチベット密教、ヤブユムと呼ばれる男女の合体仏がそこここに妖しく立っている。禁忌であるはずの性の衝動をいかに信仰にまで高めたか。性を手なずけ死の快楽にさえ寄り添う修行法が本当にあるのか。僧が低く経をあげる。巡礼は灯明にバターを注ぐ。仏名を呼ぶ女たちの眼には涙があった。この寺に一挙に魅せられた。
 先日、シガツェを再訪した。街には「開放五十周年」記念の旗が舞っていた。寺には政府により先年没したパンチェンラマの巨大な堂が新築されていた。北京政府と亡命政権により、二人のパンチェンラマが生まれ、一人は失踪、もう一人は幽閉された。ダライラマは、インドに亡命したまま、帰還にはほど遠い。雲上の理想郷チベットは、近代の国際政治にもてあそばれたままである。

寺の厨房にて(タシルンポ寺)

豚皮ボートで河を渡る(シガツェ郊外)

巡礼メモ

 日本からラサへ直行便はない。上海(香港)から成都経由(ラサ〜成都は毎日運行)が最短、最低二日必要。高山病対策必須。シガツェへは、ラサからバスで約七時間。ラサへ四川省、青海省から陸路でも可能だが困難。