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韓国

仏国寺(慶州市)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 考えてみると、アジアへの古寺巡礼は、滞在通算八百日を超えていることになる。眠れない夜、独り毛布にくるまり、旅の一々を思い出す。どこに泊まった、寺はどんなだ……。旅の記憶がまるでトンネルのように、時に沿って一本の光の束となる。トンネルの壁から寺のパノラマが展開する。寺参りの繰り返し、旅の不安や昂揚感、においや太陽や風、そんな記憶が立ち上る。非日常の旅の記憶は、大脳に深く刻印される。
 仏国寺にはこれまで三度お参りした。最近の旅は冬の終わり、釜山から車を走らせた。高速で一時間ほど、古代新羅王朝の都・慶州に着く。観光客の多い市内を避け、街区から離れた山中にある門前の巡礼宿で旅装を解いた。六畳ほどのがらんとした部屋に、テレビがぽつんと置いてあった。赤と黄色の布団の色が目に生々しく残っている。オンドルが暖かい。
 韓国現代仏教は「教禅一致」といい、仏教の総合教学である天台の教えと禅宗が融合した信仰である。しかし、慶州には喪われた新羅浄土教の跡が濃く残っている。
 統一新羅・文武王(661-80)の治世、元暁という高僧がいた。この僧は、踊りながら村から村へ念仏を称えて歩いたという。一遍上人(1239-89)の念仏踊りを彷彿とさせるではないか。中世日本の念仏聖のような僧もいた。「新羅の世、慶州の南山、避里村に避里寺という寺があった。そこに名もない異僧が住んでいた。常に阿弥陀仏を念じ、念仏は遠く街中まで聞こえたという。声朗々として、上下無く、人は念仏師として尊敬した」という記録がある。またこんな往生歌も残っている。
生死の道はとどめえず、行くとも言えで逝くならめ。秋告ぐ風に、ここかしこ、枝より落つる木の葉はも、いずち行くやは知りがたし。さあれ、行きつく果ては弥陀浄土、また逢う日もあらめ、道を修めて期(とき)待たん。=金思訳
 日が西に傾くころ、寺へお参りした。大木の陰に昨夜の雪が残っている。坂を上り、門を幾つかくぐる。正面に二段構えの橋と、基壇の上にそびえる二つの門が見える。新羅浄土教全盛の八世紀中葉に創建された仏国寺の、最も有名な紫霞門と安養門が左右にそびえる。韓国で三大寺刹というと、仏舎利をまつる通度寺、大蔵経を有する海印寺、修行道場である松広寺だが、それにもまして信仰をあつめるのがこの仏国寺だ。
 右をあがると釈尊をまつる大雄殿(本堂)、奧に講堂(無説殿)、さらに階段を上ると観音殿が建つ。ところがこの寺では左の安養門の向こうに、本堂と同格の阿弥陀堂があるのだ。ここ韓国で禅の教えに交わりながら、念仏信仰が今も続く証左である。
 夕暮れ時、参道を下り屋台でキムチを肴にマッコリ(濁り酒)をいただく。老いに差しかかったら、長い巡礼旅に出たいと思う。人生の店じまいのころ風狂の旅に出ることができたらどんなに幸せかと思う。出発までの苦悩と、異国に我が身をほうる哀しみと、舞い上がるような至福感。寺を一つひとつ巡る繰り返しの旅、仏に出会うための困難な旅。西方浄土に往生する歴程とどこか似ていないか、ほろ酔いの頭でそう考える。

仏国寺正面

ロウソクを奉納する(ソウル市内)

巡礼メモ

 慶州へは釜山から高速バスが最も便利、約一時間で到着する。釜山へは空路、成田、関西、福岡空港などから各1日1─4便就航中。ソウルからは高速鉄道セマウル号で四時間半で到着する。