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インド

サーンチー仏塔(ボパール郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 朝早く列車でインド・デカン高原の街ボパールに着いた。駅の朝は喧噪に満ちている。路上の物売りにリキシャ(力車)屋の客引き、外国人目当ての両替屋など、あらゆる職業が道の上にある。お香やスパイス、フルーツの匂い、そして腐敗臭、においだって多様だ。
 インド古代仏教美術の頂点サーンチ大塔を目指し、おんぼろバスに乗る。車体から半身を乗り出した車掌の兄ちゃんが、客をかき集める。約七十キロほどの距離を一時間半、サーンチの村に着く。巡礼宿に旅装を解き暑さを避けてひと休み。涼風吹く夕方、仏塔の丘に歩いて登った。
 ここはインドの仏跡観光地では珍しく静かだ。客にまといつく自称ガイドの青年や数珠売りなどみやげ物屋は少ない。ガンジス流域に密集する仏跡から遠いせいか、観光客もまばらだ。紀元前三世紀、アショカ王が原型を建立し、同一世紀までに完成したサーンチの大塔(第一塔)が目の前に立っている。デカンの大地に根を張りどっしりと屹立している。
 仏教の歴史は、「造塔の時間」ではなかったか、と思う。仏舎利を安置した墳墓が、紀元前に仏塔として完成した。サーンチを始めとして、クシナガラ、バイシャーリー、バールフトなど祖型の仏塔のかたちは、アジアの多様のなかで、それぞれの信仰と習合し変貌を遂げた。チベット・ネパール世界では団子型のチョルテンのスタイル、東南アジアでパゴダ様式、ジャワ島には世界の遺産ボロブドールとなった。仏教は北伝し、中国の多彩な形の層塔に変化、極東の日本では五重塔、多宝塔として崇められた。
 アジアの仏教徒が建立した仏塔には、強烈な特徴が一つある。塔を見上げることはあっても、頂上に登って見下ろす視点は、全く意識されてこなかったことだ。砂漠で生まれた唯一神の宗教と比べるがいい。古代バビロニアのバベルの塔に始まり、イスラムモスクのミナレット、西欧中世の教会・例えばゴシックの尖塔などを経て、現代教会建築の最高峰サクラダ・ファミリア教会まで天上の神に一歩でも近づこうという意志が必ず存在する。神の権威により、塔の頂上から人々を見下ろすことが、権力の象徴へとつながった。
 仏塔の頂上へは上れない。世界の仏塔の原型サーンチ大塔も、日本の鳥居に似た欄楯ごしに見上げるだけである。アジアの歴史のなかでどの権力者が、仏塔の頂上に上がって庶民を見下ろしたか。権力の象徴天守閣と違って、日本の五重塔のなかは空洞だ。仏塔は、仏教の法をたたえるだけに存在する。世界に遍在する仏の真実の教えを顕彰するために、仏教の塔はある。
 夕暮れ時、仏塔の周りの草をはんでいた牛も家路に着き始めた。大塔の東西南北に配された四つの門にはインド古代美術の頂点とされるの浮き彫りがある。著名なヤクシー、ヤクシャーなど守護神の彫刻がある。夕日が門のレリーフを浮き上がらせてきれいだ。ジャータカと呼ばれるお釈迦さまの前世のお話や、その生涯が彫り込まれている。釈尊はまだ菩提樹などとしてしか表現されていない。仏像が生まれる一世紀以上前の建立なのだ。
 炎熱の日が暮れ、風が心地いい。明日朝、もう一度この丘をのぼろうと思う。

サーンチの浮き彫りはとても精密だ(サーンチ第一塔)

初期仏教はお釈迦様を菩薩樹で表わす(サーンチ)

巡礼メモ

 サーンチへは首都デリーからボパールへ飛行機を使うのが最も早い。成田・デリー直行便は週三〜四便、関空からも飛ぶ。デリー・ボパール間は約二時間、列車で十時間。遺跡近くには小さな宿が幾つか点在する。