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インド

サルナート遺跡(ベナレス郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 安宿の窓から今日も葬列が見える。白い布でくるまれ、花できれいに飾られた骸(むくろ)が、男たちに担がれ、ガンガー(ガンジス川)に向かっている。かけ声が陽気だ。声だけ聴くと、婚礼の列と聞き違う。明るい葬列である。聖地ベナレス(ヴァーラーナスィー)に居ると、人の善も悪も、美も醜も、生も死もすべて渾然一体となり心に迫ってくる。早朝、すぐ前のヒンドゥー寺院から拡声器でお経が流れてくる。幾つかの旋律があることに気付く。小一時間もすると、経の旋律がうわずってくる。複数の僧による掛け合いの経が始まる。クライマックスは何か経文の一部の繰り返しだ。永遠に続くかと思う反復のお経がずっと流れている。
 この街に来て五日目、朝七時には宿を出て、郊外にある釈尊最初の説法の地サルナート(鹿野苑(ろくやおん))を訪れた。駅前からミニバスに乗る。相変わらずの喧噪だ。リキシャ(人力車)屋、宿の客引き、物売り、動物使い、占い師、体重計屋。客から一ルピーでも多くせしめようと必死の形相である。街から北東に十分ほど走ると、大きな仏塔が見えてきた。
 朝の空気が気持ちいい。ゲートを抜けて、サルナート遺跡に入る。ここは、釈尊が悟りを得て初めて説法を行った「初転法輪」の土地である。人間の実相を苦しみととらえ、その「苦」のありさまをあきらかにし、それを滅する道を示す「四諦八正道(したいはっしょうどう)」という真理を示した。
 整備された芝生の上を、仏塔に向かう。シンガポールからの巡礼団、台湾人の僧侶と信徒、スリランカとおぼしきサフラン色の衣をまとった僧の一団、さまざまな言葉が飛び交う。高さ四十メートルを超すストゥーパ(仏塔)がそびえる。後世、増広されたものの、仏教最大の守護者マウリヤ王朝アショカ王(治世BC268-232)の御代までさかのぼるというダーメク大塔である。中国、東南アジア、そしてインド、あちこちからの巡礼者と共に仏教共通の礼法に従って、右に三周、仏塔を回る。チベット語のマントラが遠くから聞こえる。仏教はやはり国際宗教なのだと改めて気付く。
 遺跡の一隅に、厳重に鉄柵で囲った壊れた円柱があった。中をのぞくと、高さ、直径がそれぞれ一メートル近くあろうか、柱の一部が幾つか保存されている。表面にびっしりと古代インドの言葉が刻まれている。インド美術史の劈頭(へきとう)を飾るアショカ王柱だ。王が紀元前三世紀、仏陀の聖跡、仏弟子の遺跡に建てたものの一つだ。二千年を遙かに超す時の重さが、そこにあった。
 遺跡を出て、物売りに囲まれ、みやげ物屋をひやかしながら、広場正面の博物館に入る。アショカ王柱の柱頭部が展示されている。仏説の象徴である法輪を守護するかのように四頭の獅子が周囲を睥睨(へいげい)している。インド国旗のシンボルとしても使用され国家統合の象徴である。
 その夜、文庫本の原始仏典を読了する。こう記されていた。
「己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が煩悩の矢を抜くべし。煩悩の矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、やすらぎに帰する」。(スッタ・ニパータ)

寺の門前でお供えの花を売る(インド・デリー)

インドは牛でいっぱいだ(パトナ郊外)

巡礼メモ

 日本からベナレス・サルナートへは首都デリーを経由した方が便利。成田発(週5便ほど)関空発(週3便)がある。デリーからベナレスは鉄道で9時間。国内線も就航し、所要時間約1時間15分。