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インド

エローラ石窟寺院(オーランガバード郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 混雑しているボンベイ・ヴィクトリアターミナス駅から「ゴラクプール急行」に乗る。列車に名がついている事で、旅の気分が、ひとつ豊かになった気がする。二等寝台、板だけの寝台兼椅子、マットはない。中国と同じ広軌だが、中国国鉄が同じ面積を六人に割り当てているのをこの国は八人分使う。乗換駅マンマード、ここで広軌から、狭軌へ列車が変わる。おかしな寝台の配置だ。あらゆる列車が同じ作りの全体主義的中国国鉄と、インド的なこのいい加減さ、多様さ。深夜、オーランガバード着。すでに駅前は閑散としており、歩いて宿を捜す。
 次の日、オーランガバードの街を歩く。豊かな国だなと思う。人々の顔にどこか鷹揚な高貴ささえ感じる。人の営みが朝な夕な直截に、こちら側に響いてくる。朝は活力にみなぎり、夕はほっとした雰囲気がそこいら中に広がっている。街は荒れ地から、自らを守るようにして広がっている。人の集まるバザールは、原初的な交換が存在する。そこでは貨幣がシンプルに貨幣のままである。夢想好きのインド人の性癖がこっちまで乗り移ったのか、へたな想像ばかりしている。
 エローラの村はどこか、中国・敦煌の雰囲気に似ていた。強度に乾燥した大地、近くに川があり絶壁をともなった台地とその遺跡、街と石窟の距離などがそう思わせるのだろうか。荷物をほおり出して、遺跡へと急ぐ。昼過ぎから夕暮れまで仏教窟をうろうろする。遺跡の薄暗いテラスで昼寝をする。夢は、仏来迎の華やかさからはほど遠く、暗闇が広がっていただけだ。小一時間も眠っただろうか。振り向くとテラスを囲むように、石窟が幾つも開削されている。石窟のそれぞれに主仏の仏陀や、脇持の菩薩が彫られ、別の所では明王、天部が侍っている。古代の僧伽集団の在りようが、ほんの少しだけリアリティをもってきた。
 道の辻に大きな木がある。木陰に陣取るジュース売りの親父が小猿を飼っていた。石窟のはずれで、牛が寝そべっている。牛を見ていたら、日が暮れる。
 翌日、ヒンドゥー教石窟を見て回る。仏教窟と隣あっていながら、様式的にも似ていながら、とても大きな断絶がある。躍動感がすごい。ハヌマン、ガネーシャ、ナンディ、ガルーダ、ナーガなど動物神の表現、シヴァ・パールバーティ、ヴィシュヌ・ラクシュミーなどの神々の性表現、踊るシヴァ神、いずれも躍動感にあふれている。寂静に引き込もうとする仏教の表現とは、全く違っている。ヒンドゥーもまた仏教と同じで寛容の宗教だった事を思い出す。仏教、ヒンドゥー、ジャイナと宗教が途中から変わりながら、一つの宗教世界を作っている。共存する諸宗教の世界に感動する。第十六窟・カイラサナート寺院、主神シヴァ神が、カイラス山(須称山)の主であることからこう名付けられた。間口四十六メートル、奥行き八十メートルというその途方もない巨大さに、信仰の強烈さを思う。ここにはすべてのものを奮い立たせる力がみなぎっている。
 石窟を最後まで見る。今日も日が暮れてしまう。この国の田舎は夕方になると、実にほっとした空気が流れている。牛もそれぞれどこかに帰って行くし、宿の前のチャイ屋にたむろしていた猿だってそうだ。夜、日記を書いてると、微かな風の音、木々のささやきまで耳に入ってくる。明日、アジャンター遺跡の村へ行こうと思う。

石窟内のストゥーパ(エローラ寺院)

インドの女の子たち(パトナ)

巡礼メモ

 日本からオーランガバードへはムンバイ(ボンベイ)経由が便利。成田発(週9便ほど)関空発(週3便)がある。ムンバイから飛行機は毎日2便。鉄道で直行列車で7時間。エローラまでは町からバスで45分。