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スリランカ

シギリア遺跡(ダンブッラ郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 二〇〇四年の大津波に襲われたスリランカ南部の街郊外に、幼稚園舎を友人たちと建設するため、何度かこの島国を訪れている。釈尊の教説を守り続けた上座部仏教が最初に繁栄した土地、この教えはのちにミャンマー、タイへと広がった。主要民族のシンハリ人は、自らの信仰に大きな誇りを持ち、同じ仏教国の日本にも近親感を持つ。
 他の仏教アジアの国々と同じく、葬儀はにぎやかだ。街道筋を車で往復していると必ずや、短冊がたなびき白い横断幕が張られた葬儀に出会う。葬儀で村人が口にする言葉が「ニワン・サァパ・ラベーワ」。涅槃(ねはん)の至福が得られますように、という意味だ。南アジアの人々は、仏教、ヒンドゥー教を問わず、生は何度も繰り返すという教え「輪廻転生(りんねてんしょう)」を確信している。その繰り返しの生のために、功徳を積み、究極的には生の消滅=涅槃の境地に達したいというのだ。
 先日、建設視察の帰途、二十年ぶりに古代シンハラ王朝の王都ポロンナルワなど中北部「文化三角地帯」と呼ばれる一帯を訪れた。紀元前から十一世紀ごろまでの古代仏教の大遺跡群がそこここに散らばっている。
 宿を早朝立って、車でシギリア遺跡に向かった。乾燥した大地とヤシの林の小さな峠を何度か越える。遠くに巨大な岩が見えた。宇宙から落っこちて来たとしか形容できない怪異な岩山である。街道から二キロほど入る。周囲の緑と隔絶し、ほとんど垂直に屹立する高さ約百八十メートル、茶褐色の巨塊が面前に見えてくる。シギリアの衝撃は、この遺跡の風貌だけではない。この岩の頂上に宮殿を建てた狂気の王が実在し、わずか十一年で権勢を誇った王も自死を選び、天女の壁画で代表される贅をこらした宮殿も破壊されたという史実だ。
 紀元前よりこの場所は、仏教僧の修験の場であった。問題の王カーシャパは、五世紀後半にポロンナルワの古代王国を繁栄に導いたダートゥセーナ王の庶子として生まれた。正妻の子である弟に王位継承権を奪われるのを恐れ、父王を軟禁し、王に反感を持つ司令官に実父を殺させてしまう。
 仏教の戒律でもっとも大切なものは「殺すなかれ」という「不殺生戒」、親殺しはそのなかでも最も重大な戒の侵犯である。破戒の苦しみからか復讐を恐れてか、王は狂ったように世間と隔絶した岩上に宮殿を築いた。
 遺跡は、アンコールワットにも劣らず巨大である。長辺が一・五キロを超す堀に囲まれて狂気の王城はそそり立つ。堀の入口から、王の沐浴場、人工の上水道で作られた噴水、石窟寺院跡などを通り、岩に取り付く。石の階段を十分ほど、そしてほぼ垂直に登る鉄のはしごに取り付く。天女のフレスコ画は、オーバーハングした岩のくぼみにある。色鮮やかに合計十三人の美女が訪れるものを魅了する。岩を回るとテラスに出た。巨大なライオンの前足が残る。ここが宮殿の入口だ。王はこの岩全体を獅子の巨像で覆ったという。さらに十分ほど階段にへばりつきながら、よじ登ると、岩の頂上に出た。広さ一・六ヘクタール、王宮跡だ。頂上からは、熱帯雨林のジャングルと遠く父王の治世により繁栄したポロンナルワの王城跡が見渡せる。
 空中の楼閣は、破壊されたのち、岩山は再び仏教の修験の場に戻った。いつしかジャングルに埋もれた遺跡が、再び歴史に現れたのは、王の死後千四百年経った十九世紀後半になってからである。

目もくらむような急な階段を下る(シギリア遺跡)

巨大なライオンの爪が王宮を守ったという(シギリア遺跡)

シギリアの美女たち(シギリア遺跡)

巡礼メモ

 スリランカへは、成田から直行便が週三便、乗り継ぎなら日本各地の空港発も利用できる。コロンボから遺跡近くのタンブッラまでバスで四時間半、遺跡までは四十五分程度。観光にはここに宿を取った方が便利。