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ルンビニ遺跡(タライ地方)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 一九八〇年代半ば、妻とインド北東部、ガンジスの流れに沿って、半年ほど仏跡を歩いた。その年の三月、涅槃(ねはん)の地クシナガールから国境を越えて、降誕(ごうたん)の地ルンビニへ向かった。朝七時、宿を出て国境行きのバスを歩いて探す。途中、葬列に出会う。ゴラクプールの街で乗り換える。満月祭(ホーリー)で、行き交う人々が色水をかけ合っている。国境行きのバスは究極のオンボロだ。椅子もガラスも至る所で壊れている。バスの中に流れ込む風が気持ちいい。
 ソナリ村で下車、二百メートルも歩くと出国の管理事務所、旅券にスタンプをもらってネパールに入る。道行く人の顔が変わった。どこか素朴な山の民だ。オート三輪を探し、六人の相乗りで夕刻、ルンビニ村に着く。空いっぱいに鳥たちがねぐらへの森に帰っていた。安宿の隣室にいた日本人カップルの女性が、肝炎に感染し熱でうなされていた。インド製の薬を分けたが、効くかどうか。明日にも飛行機で首都カトマンズに帰るという。
 翌日の日記にこう書いた。「ここは仏陀生誕の地。インド国境から十キロ余り、風景はまだそうインドと変わらない。ここタライの大平原にも灼熱の夏が来つつある。砂ぼこりの舞う茶褐色の大地、バニヤン(菩提樹)の木陰で休息する人々、穀物を満載して進む牛車、牛は右左と規則的に首を振りながら進む。乗合馬車を引く馬は、赤や黄、緑の玉や金属で飾られ、きらきらしている。経典に出てくる釈迦の時代と何ら変わりはしない。
 仏の地に何度も何度も詣でていると、仏教がどこか『自然』になったような、そんな気がする。生活することが旅することになったように、仏教もまた旅になった。いわば寺参りの繰り返しの日々。妻はいい仏像に出会う度にスケッチしている。『量の変化は質の変化をもたらす』という物理学か何かの命題を思い出す。単なる反復に過ぎないと思っていたものが、少し変わりだしてきている」。
 二千数百年前、この地でシッダールタ(釈尊の幼名)は生まれた。仏教の守護者アショカ王はBC三世紀、ここを訪れ顕彰のため王柱を立てた。東晋の僧法顕(ほっけん)も、唐代の僧玄奘(げんじょう)もここに参った。イスラム支配の数百年、荒れ果て森の中に放置されたが、一八九六年考古学者ヒューラーが王柱を再発見した。王柱に釈迦生誕の地と記されていた。一九九五年には、生誕の場所を示す石版「マーカーストーン(印石)」が発見された。一九七〇年頃から、世界の仏教徒の寄進により、仏教の重要な遺跡公園として整備され、仏教国それぞれが寺を建立し、国際的な場所となった。シッダルタの母マヤ夫人が産湯につかったという池の脇には、生誕の地を守るように巨大な新マヤ堂が二〇〇三年に完成したという。
 明くる日の午後、この村を歩いていると、美しい声が聞こえてきた。音のする方へ歩くと、巡礼者の泊まるチベット寺に出た。堂に入る。薄暗いなか少年たちが経をあげていた。極彩色の仏を中心にこちら側に二列、小豆色の僧衣に身を包んだ小僧たちが、美しい経をあげている。『この声明(しょうみょう)、和声になっている』。小僧たちが右に左に上体を揺らしながらリズムをとって、ある時は高音部と低音部、ある時は三声にと自在に、行きつ戻りつしながら、経を歌い上げている。チベッタンのバッハ。堂内にハーモニーが響きわたる。明日には、ヒマラヤの見えるポカラの街までバスで行こうと思う。

お釈迦さまが産湯につかったという池があった(ルンビニ)

経を読む小僧たち(ルンビニ)

巡礼メモ

 関西国際空港より、直行便が首都カトマンズまで週2便就航。公共バスで首都から約9時間。飛行機が一日7便飛ぶ。インド側からも観光客用のバスがデリー、ベナレス、ゴラクプールなどから出ている。