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タイ

アユタヤ遺跡(アユタヤ)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 スコタイ観光の基地ピサヌロークからアユタヤを目指す。快適な鉄路の旅だ。列車は狭軌、客車の内部は日本の田舎のディーゼルカーと同じである。車内販売は、食堂車で作るフライライスにジュースの類、ときどき駅から少年たちがキャンディを売りに飛び乗ってくる。チャオプラヤ川の形作る平原と湿地を進む。中国・華南の土地と似て、土地利用が緩慢だ。大地と河の区別が曖昧だ。あるところはため池が緩やかに水田に移行し、道が道のままで耕作地に変わったりする。かとおもうと、沼のそば湿地の上に、突然、高い床の家を作り生活する人々が現れたりする。米の収穫が終わり、あちらこちらに稲を積んでいる。赤茶けて、乾燥すると微粒子となってしまいそうな痩せた土、道がいつも埃だらけだ。まわりの木々も、晴れた日は真っ赤になってしまう。
 時刻表通り三時間半で日本の地方駅そっくりのアユタヤ駅に着く。宿に荷物をおろし街を歩く。市場にものは豊富だ。街のワット(寺)を回る。僧の動きが整然としている。経の響きが美しい。庶民の生活の厳しさと、この宗教のきらびやかさはなんだ。赤と緑と金銀で飾りたてた仏教寺院の華麗さと対象的な人々の生活。しかし、タイの人々の礼儀正しさ、笑顔の美しさは、この宗教と無関係でもあるまい。若い女性の喋るありがとうの言葉「コップンカー」、何と官能的な響きである事か。
 翌朝、チャオプラヤ川の中洲にある遺跡へと向かう。歴史公園として整備されつつある寺院遺跡ワット・ラートブラナに入る。十五世紀の寺院遺跡だ。およそ八十メートル×百二十メートルの中に、多くの仏塔と仏座がある。紙に平面図を書き始める。中心に仏塔があり、その東西に仏座(仏像)が建つ。周りにも多くの小さな仏塔が並ぶ。様式の美しさがあると思う。廃虚の寺の静けさが、この様式美を倍加している。とてもゆっくりできる。しなやかな猫が多い。シャム王朝の末裔の地だ。その血を受け継いでいるのだろう。仏塔の陰で真昼の巨大な太陽を避け、猫と遊びながら一休みする。
 「旅とは」と自問する。大地をとぼとぼ歩いていると、暑すぎたり、寒すぎたり。気候も人も良く過分の高揚感に襲われたり。不安に沈んだり(病がいちばん人を沈ませる)。旅するはずの土地や遺跡を思って、夜眠れないほどの興奮を覚えたりもする。「量の変化は質の変化をもたらす」という物理学か何かの命題を思い出す。古寺の巡礼の日々、極東から、ペルシャ世界と接するガンダーラまで、土地それぞれの仏に巡り会い、手を合わせることの繰り返しだ。非日常の旅は、狂気を誘発するがそれを鎮めをもする。精神の揺らぎのなかで、仏陀の思索に少しはにじり寄れただろうか。
 屋台でセンミ・ナーム(「春雨うどん」とでも表現できようか。タイの庶民の麺類)をかき込み、歩いて有名なワット・マハタート遺跡、ついで旧王宮寺院ワット・プラシーサンペト(いずれも十四〜十五世紀)まで歩く。途中、巨大な涅槃仏にサフラン色の衣を掛け果物を供えて、線香を手に一心に祈っている地元の人たちがいた。人々のあいだに分け入っても、中国のように知らず知らず観察されているような遠巻きの好奇心もない。インドのように露骨な干渉もない。人々の目は穏やかだ。地図を広げて場所を確認していると、目指すお寺を教えてくれる。見知らぬ旅人への案内の仕方が絶妙だ。明日はラオス国境の街に向かおうと思う。

仏に供物がいっぱいだ(アユタヤ)

タイ仏の御手はとてもやさしい(アユタヤ)

巡礼メモ

アユタヤへは、首都バンコクから鉄道、エアコンバスが便利。いずれも一時間半程度。またバンコクから遊覧クルーズも出ている。成田、関空、中部、福岡など主要空港から、バンコク直行便が就航している。