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タイ

シー・サッチャナーライ遺跡(スコタイ郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 タイ北部の古都チェンマイの旧市街で車を借り、世界遺産の街スコタイを経て帰途の空港・ピサヌロークまで、北部タイの丘陵地帯を縦断する。合計約三百四十キロのドライブだ。目的はその途上、十三世紀スコタイ王朝の第二の都市シー・サッチャナーライにある仏教遺跡を訪れること。早朝、郊外のフランス資本の巨大スーパーで、地図と食料を買い込んで出発した。カーステレオから甘いタイ製のポップスが流れている。
 フロントガラスから見える風景だけ切り取ると、タイはもはや経済的には十分に発展した、と思う。小さな街にもコンビニエンスストアがあり、二車線道路のそこここにサービス満点のガソリンスタンドが点在する。買い出し客を満載した乗合トラック・ソンテウや名物タクシー・トゥクトゥクもめっきり少なくなった。伝統的な高床式の農家が減り、小ぎれいな中産階級の分譲住宅の建設が進む。田舎の道ばたには必ずあった飲み水をためる素焼きの壺も今、あまり見かけない。
 峠を二つ越え、チャオプラヤ川上流のヨム川沿いにタイ中央平原を南下し、昼過ぎに遺跡に着く。十三世紀から二百年ほど続いた遺跡群である。街から二キロほど離れた川辺の丘陵地に遺跡は広がっていた。歴史公園として整備されつつあるが、大遺跡スコタイと違い、観光客も物売りも少ない。畑のそばに十三世紀の古寺がうち捨てられたように建つ。ジリジリとした暑さのなか、車を降りて公園のゲートをくぐる。中心に仏塔がありその両脇に柱だけの僧院跡があった。周りには多くの小さな仏塔が並ぶ。廃寺の静けさが、洗練された様式の美しさを倍加している。フーッと深呼吸する。サフラン色の僧衣を着た小僧たちの集団に出会った。路傍の仏に経をあげている。高度な資本主義時代に入りつつあるタイで仏教はどう変わるのだろう。数人の女性のグループに出会う。伏し目がちに合掌して、「コップクン・カー」とあいさつする。タイ女性の合掌姿は官能的ですらある。
 アジアは、てんでにバラバラだ。体制も習慣も言語も宗教も、何もかも違うようにみえる。中東のイスラム、そして欧米国家群のキリスト教、そんな主軸がない。しかしそれでも仏教はアジアの共通言語ではないか。合掌という祈りとあいさつのかたち、剃髪した僧侶。土地の神々と習合し、民族のエートス(習俗)に合わせて変容したそれぞれの仏教とその信仰だが、仏教国の人々と親和性を感じてしまうのは、私だけではあるまい。無常・無我といい、縁起といい、中道といい仏教の基底音が、おのおのの文化に流れている。お茶も味噌、醤油も、木と土と紙でできた高い床の家や帯で締める和服だって、それらのかたちの変奏曲がアジアのどこにでもころがっている。日本人を裸にすれば、タイ人もチベット人も、モンゴル人も変わりはしないのだとさえ思う。
 夕暮れが迫る。江戸時代初期、日本で宋胡録(すんころく)として名をはせた名陶の故郷・スンカロークの美術館を経て、スコタイのゲストハウスに宿を取る。
 宿の窓から、水牛が農夫に追われて家に帰っているのが見えた。天井の電灯には、ヤモリが虫たちを狙っていた。タイの風景だ。明日はバンコクを経て、日本に帰る。

小僧の昼休み(タイ・チェンマイの寺ワット・プラ・シンにて)

仏塔にハトが群れる(同遺跡の「ワット・プラ・シー・ラタナ・マハタート」)

巡礼メモ

 シー・サッチャナーライは、スコタイからバスで一時間程度。飛行機は、バンコク〜ピサヌローク間に毎日数便が就航。同空港からバスで二時間かかる。成田だけでなく数都市からバンコクへ就航している。