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シュエダゴン・パゴダ(ヤンゴン)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 シュエダゴン・パゴダは、仏教国ミャンマーの統合の象徴である。空港の雑踏を抜けて、首都ヤンゴンの中心部へ南下すると、小高い丘の上に高さ百メートル近い大仏塔が出現する。パゴダ(仏塔)の国ミャンマーでも最大級、数百キロもの金箔で覆われ、真っ青な空に屹立する尖塔部(傘蓋)にはダイヤモンドやルビーがちりばめられている。この国の人に問えば誰でも、この大仏塔が釈尊まで遡るという聖髪伝説の由緒、歴代の大王が何度も増広した歴史を、誇りを持って教えてくれる。
 両側に土産物屋が並ぶ参道を上る。花や線香、紙製の傘を買い求め、丘の上に出る。塵一つ落ちてない聖なる空間である。大仏塔の周りには無数の小仏塔、仏像が並ぶ。四方の仏像の前には、数珠を手に瞑想するもの、護呪のお経「パリッタ」を唱えるもの、線香を手に礼拝するものらで混雑している。
 十一月の満月の日、灯明祭「ダザウンダイン」には、出家するお釈迦様のために、母堂が一晩で衣を縫ったという故事にならい、境内の仏像の数だけ衣を織る。多くの女性たちが、夜を徹して機織りを競うという。境内には観覧車、宝くじ売り、芝居小屋、手相見などが出て、この日の夜だけは聖なる空間が、縁日の雑踏に変わる。
 街を歩いていると、路地の向こうで大きな僧院に迷い込んだ。数百人の小僧が、隊列を組んで托鉢に出ようとしていた。剃髪した小学生程度の小僧も同様に裸足で並んでいる。小豆色の僧衣をまとい、黒く大きな鉢を手に、小さなグループに分かれ、無言で路地に消えていった。この国では、托鉢僧に、炊きたての飯を施与することは最も日常的な功徳である。
 小僧を追っていると、きらびやかな隊列に出会う。金銀の冠をつけた王子、王女の格好をした子どもたちが、馬車で寺に向かっている。楽隊が先導し、象の飾り物も並び、親類縁者とおぼしき大人を従えた一大ページェントだ。得度式だという。この国では六歳から十二歳までの間に必ず、僧院生活を体験する。街のホールなどで、家族から出離する式で祝福され、寺にはいると一転、厳粛な得度の式を行う。髪を剃り、黄衣を授与され、王子の服から着替える。仏・法(教え)・僧(教団)への帰依を表すパーリー語の経を唱え、出家の名を授かる。僧形になった小僧を両親でさえ合掌三礼しひざまずいて、聖社会に送り出すのである。翌日からは、仏を中心にした出家の生活、戒を守り仏典を学び瞑想する生活が始まる。日の出前に起きて、食事は正午までに終わる生活だ。子どもにとっては劇的な変化だろう。しかし、国民的ともいえる得度の体験、一生のうちに三度は僧院で修行生活を送るという宗教生活が、仏教国家の根幹部を支えている。
 夕暮れ時、再度シュエダゴン・パゴダにお参りした。日中、巨大な太陽に照らされて裸足で歩くのが難儀な境内の土間も、今はひんやりとして気持ちがいい。参拝客がならす鐘の音が響く。「ブッダム・サラナム・ガッチャーミ……」。この国の僧侶をまねて、パーリー語の三帰依文(お経)を唱えてみた。隣の人がほほえんでくれた。互いに仏教徒である安心感、仏にひざまずくことの安堵、うれしさ、そんな感じにとらわれている自分に気付いた。

祈る(シュエダゴン・パゴダにて)

祈る(マンダレー)

巡礼メモ

 ミャンマーの首都ヤンゴンへ、日本からの直行便はない。隣国タイのバンコク乗り継ぎが一般的である。シュエダゴン・パゴダは、ヤンゴン市街地北、市内各所から遠望できる。早朝から夜九時まで参拝可。