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カンボジア

タ・プローム遺跡(シムレアップ)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 古寺タ・プロームは哀しい遺跡である。遺跡に詣でる密やかな愉しみは、その建造物が創建された往事をしのび、王権の強大なること、文明のきらびやかなること、信仰の確固たることを、残された痕跡から想像することである。建立され、異民族から破壊され、また再建され、そしてジャングルや砂漠に沈み、再発見されて修復される。地球上に残る偉大な遺跡の大半は、こうした歴史を秘める。古寺巡礼の愉楽は、遺された痕跡を観察し、イメージを再現するパズルの楽しみに似ている。
 タ・プロームは、アジアの大遺跡アンコール・ワット、アンコール・トムの脇にあって、遺跡に襲いかかる自然の猛威を、実感するため意図的に放っておかれた古寺である。東西一キロ、南北六百メートルという広大な敷地、一歩足を踏み入れると、巨大な榕樹(スポアン)が、遺跡に襲いかかっている。ある時は大蛇のように、また龍のように古寺の屋根をうがち、基礎をえぐり取っている。太いロープのようなツタ(蔦)が、蜘蛛の糸のように塔といわず壁といわずはい回り、岩石を絡め取っている。ここでは、創建された八百年前を想念しようとする意志など、完膚無きまでにたたきのめされる。アンコール朝最盛期の仏教王ジャヤヴァルマン七世(一一八一年即位)が創建したこの寺は、碑文によると当時、高僧十八人、僧二千七百四十人、小僧二千二百人あまり、舞姫六百十五人もの人が祈りを繰り返したという。八百年の歳月を経て、膨大な瓦礫と化した。自然の前にあって文明などはかないものだと思い知らされるだけである。
 二度目のアンコール詣では、再び隣国ベトナム・ホーチミンからバスと船を乗り継いで行った。カンボジアに平和の戻った九四年、ベトナムから政府系の無愛想なバスで、首都プノンペンまで十二時間かかって国境を越えた。今回はトイレ付きの豪華バス、七時間で到着した。国境には、ベトナム人のためのカジノが建っていた。首都の喧噪は相変わらずだ。前回、白いペイントを施した国連軍、国際組織の自動車ばかりが目立った。今回は地元の裕福な商人が車を乗り回すまでになっている。地雷によって足を喪った物乞いを何度も見かける。首都からは高速船だ。アンコールの街シムレアップまで八時間かかる。メコンの支流を遡航し、トンレサップ湖を横断する。
 アンコール朝の王都は、このメコンの恵みによって繁栄した。南シナ海からメコンを遡り船が着く。王朝最盛期の十二世紀、アンコールワットやタ・プロームが建設され、東の中華・宋帝国、西のイスラム王朝と比肩する勢力を持った。広大な人工湖を作ったアンコールは水利灌漑都市として繁栄の極みにあった。
 九三年の平和協定成立から十数年、久しぶりのシムレアップの街は、世界中から観光客を呼び込み繁栄を謳歌していた。五つ星の外資ホテルが建ち並び、平和の配当を享受していた。発掘された美術品などを展示する国立博物館も建設中だ。人々は古代王朝アンコールの恩恵にあずかっていた。タ・プロームに詣でた帰り、夕暮れに遺跡全体を見渡せる丘に登った。夕日の沈む西側のジャングルは、かつて狂気の政権クメール・ルージュが最後に支配した土地だ。今も放置されたままの地雷が残る。そして今また、遺跡群のあちこちでは、日米欧の研究チームによる修復工事が本格化していた。

アンコール遺跡の舞姫・ウプサラ

溶樹で浸食される遺跡(タ・プローム遺跡)

巡礼メモ

 遺跡観光基地シムレアップには、バンコクから格安航空会社が毎日、7〜9便就航。首都プノンペンからは毎日5便。いずれも1時間前後で着く。成田からも近年、直行チャーター機が飛ぶようになった。