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ベトナム

ミソン遺跡(ダナン郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 ホーチミン(旧サイゴン)で見た葬列はすごかった。巨大な故人の遺影と、豪華な棺に納められた遺骸を乗せ、花で飾った車を先頭に、車やバイクが数十台続いた。遺族は白い喪服に身を包み、仏典の文字を縫いつけたカラフルな旗がはためいていた。ベトナムの街々を歩いても、葬儀によく出会う。その雰囲気が目立ち、通りすがりの外国人にも、すぐわかる。派手な葬儀は華人社会の専売特許だったはずだが、ベトナムも決して劣らない。
 葬列を離れ、小さな路地を入ってお寺にお参りした。「南無阿弥陀仏」と彫った大きな碑にぶつかった。聞くと仏教徒同士は阿弥陀仏のベトナム語読み「アジダファット」とあいさつをするそうだ。ベトナムは少なくとも仏教に関するかぎり大陸側の東南アジア諸国と一線を画する。タイ、ミャンマーなどの僧は、古代インドのパーリー語、サンスクリット語で書かれた経典を読み、お釈迦さま一仏を祀る上座部仏教の教えに従う。それがこの国では、僧は日本や朝鮮半島と同じ漢訳経典をそのまま読み下す。位牌はもちろん漢字で書かれる。
 仏教史では、この国の仏教は禅系の教えを中心とするが、街の寺にはいると、どうも違う。暗い本堂にはいると、須称壇の最前列には道教の閻魔大王や地獄の十王が鎮座している。後ろに諸菩薩が並び、奥の方かすかに阿弥陀、釈迦、弥勒などの仏像が見える。奥の諸堂には、土着の神々も同様に祀られている。大地の精霊の信仰に大乗仏教各派の教えや道教、それに先祖信仰が複雑にミックスしているのがこの国の信仰だ。
 二世紀から千年以上にわたりベトナム中南部で栄え歴史に消えた幻のチャンパ王国(当時の中国人はこの国を「林邑」と呼んだ)の聖地ミソン遺跡を目指した。海上交易などを主として、明確な版図を持たないチャム族を中心に、断続的に勃興した歴代の王権が、聖なる山マハーパルヴァタの麓に営々と建立したヒンズー教・仏教の混交遺跡である。商業都市ダナンからバスで二時間、最後は四輪駆動車でジャングルを分け入った。インド古代遺跡を思わせる八つに分類される煉瓦造りの祠堂や塔が、聖山を背に並ぶ。破壊されたシバ神像、豊饒の象徴リンガ跡があり仏教の影響を思わせる意匠が随所に施されている。古代インドの言語サンスクリット語の碑文も出土した。ベトナム戦争で米軍から徹底的な破壊を受けた跡が痛々しい。
 華人社会を思わせる葬列、中国仏教や道教の影響が強く庶民層に深く浸透した現代のベトナム仏教、言語には中国語を思わせる単語が交じり、現代史でも毛沢東、ホーチミンと同時代に西欧列強と戦い、独自の社会主義国家を建設した。そして二〇世紀末からは開放経済に移行し、ともに大きな発展を遂げる。
 大陸の東南アジアを「インドシナ」とはよく名付けたものだ。インドと中国、巨大な文化圏に挟まれて、それぞれの影響を受けながら独自の文化を育んだ。中国の影響が強いベトナムでもまた、歴史の古層には古代仏教、ヒンズー教などインド人の信仰が眠っていた。遺跡の帰り、川を下る船で港町ホイアンに向かった。古い港の市場は開放経済で活気に満ちていた。発展するこの国でもまた、庶民の切実な想いとともに信仰もまた深化していくに違いないと思う。

葬送の列に出会った(ホーチミン)

通りにて(ホイアン)

巡礼メモ

 チャンパの各遺跡、古都フエ、ダナンなど中部ベトナムへは、ホーチミンを入り口とした方が便利。成田から毎日三便以上、関空から毎日一便。ダナンへは飛行機で一時間半、列車、バスで一泊二日。ダナンからミソン遺跡へはツアーが各種ある。