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インドネシア

ボロブドール遺跡(ジョグジャカルタ郊外)
亜州古寺巡礼
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 二〇〇二年十月、インドネシア・バリ島のビーチリゾートで、路上に駐車中の自動車が爆発、日本人を含む外国人観光客など二百二人が死亡した。当局はイスラム過激派を拘束した。バリ島爆弾テロ事件だ。
 バリは世界の観光地、そして神々の島だ。イスラム国家インドネシアにあって、バリ・ヒンドゥー教文化の華が咲く。島ではヒンドゥーの祭が、いつもどこかで営まれ、バリの舞踊や民族音楽ガムランの響きが流れる。街には、深夜まで欧米、オーストラリアや日本の観光客が肌も露わに闊歩し、嬌声を上げている。
 事件の背景には、イスラム教徒の英米の対テロ政策への反感がある。資本主義の物質文化、ひいては共に砂漠で生まれたキリスト教文明とイスラムとの基本的な対立を指摘する言説も少なくない。
 日本各地から、アジア仏教の精華・ボロブドール遺跡へは、バリ・デンパサール空港を経由する事が多い。遺跡のゲートウエイ・ジャワ島の古都ジョグジャカルタまでは、飛行機でわずか一時間の旅程だ。
 遺跡は、ヒンドゥー文化の華が咲いた西暦七六〇年ごろから約九十年間、中部ジャワ・シャイレンドラ王朝の歴代の王たちが大乗仏教を奉じて建てたものである。遺骨をまつった廟(ストゥーパ)とも、五百四体の仏像の配置から、曼荼羅を模したともいわれるが、今も定説はない。小高い丘の上、一辺百二十メートルほどの方形の回廊を基底に六層重なり、その上に三層の円檀を配す。高さは先端部まで四十メートルを超す。回廊壁面には、総延長四キロともいう壁画(レリーフ)に、釈尊伝や法華経、釈尊生前の物語ジャータカなどが描かれる。
 当時の中部ジャワ文明には、ヒンドゥー教と仏教が混在していた。歴代王朝の当主は、二つの宗教どちらかを信奉し、そこに対立も混乱もなかったというのが現代の学説だ。実際、ボロブドール周辺には、同時代に建立されたヒンドゥーのブラナバン遺跡など壮大な古建造物が散在し、インド由来のシヴァ神、ビシュヌ神の像などが残る。中東の砂漠で成立し異端排除の歴史に立つ一神教文化と違い、森の思索から生まれた仏教、ヒンドゥー教などアジア多神教文化は、森の生理と同じように互いに影響を与え合い、他を認め共生する。カンボジア・アンコール遺跡、ミャンマーのパガン遺跡、ベトナムのチャンパ遺跡など古代仏教遺跡には、他宗教との混交遺跡が多い。ベトナム仏教寺院に至っては、仏菩薩だけでなく道教の神、インドの古神さえ祀るアジア宗教のパンテオンだ。
 一八八五年、偶然にボロブドールの基壇の下にさらに回廊が隠されていたことが、分かった。この点や、修復の際の研究などから、この大遺跡には統一された設計図は無かったと推定されている。時代それぞれの王が、自らの信仰に従って増広し、装飾を加えた。故に、仏塔とも廟とも曼荼羅とも確定できない壮麗な遺跡が残った。
 ここにも唯一の原理から形を造形するのではなく、過去を否定し破壊して建立するのではなく、時代ごとの複数の視点でものごとをを形成したアジアの智慧がある。東アジアから熱帯アジアにいたる仏教アジアの文明は、他との先鋭的な対立を融和する教えが隠されている。縁起といい中道といい、釈尊は他を生かす教えを説いた。ボロブドールの歴史は、そのことを強く物語っている。

ボドブドールの回廊には、お釈迦様の伝記のレリーフが

法要を待つ女たち(バリ島)

巡礼メモ

 成田、関西、中部、福岡からバリ島へ直行便がある。デンパサールよりジャワ島ジョグジャカルタへ毎日数便一時間十分。車をチャーターして遺跡まで約一時間、バリ島からの日帰りも可能。