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 如是我訪−アジア古寺巡礼というタイトルで季刊「かるな」(浄土宗出版室刊)に連載し、それをお寺新聞「MOYAi」に転載しています。
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如是我訪─アジア古寺巡礼 第三十話
●ジョージタウン寺院群
(ペナン島・マレーシア)

 正月をタイ・プーケット島で過ごし、年明けにマレーシア・ペナン島を目指した。国境の町ハートヤイまでエアコンの効いたバスで八時間。雨模様の街に降り立ち、トクトク(オート三輪のタクシー)のオヤジの勧めるがままに投宿する。華僑の宿らしく受付の脇には中国仏教の祠がある。翌朝早く、闘牛を見に行く。町では見かけない高額紙幣を握りしめた男達、その汗が飛び散る闘牛場の最前列。隆とした筋肉を誇る牛たちの死闘を見た。帰路、掘ったて小屋の旅行代理店でペナン島行きの切符を買いバスに飛び乗る。サダオの国境からマレーシアに出た。風景に大した差異があるでなし、ゲートで旅券を差し出すだけ、簡単なものである。小雨の舞うマラッカ海峡沿いの道を走り、島対岸の街バターワースに着いたのはすでに夜十時近かった。フェリーで島にわたる。
 この島は、香港にとても似ている。大陸側の九龍がバターワース、島の頂上にはヴィクトリア・ピークにペナン・ヒル、大陸と島を結ぶフェリーも、ピークに登るトラムもうり二つだ。ペナンは十八世紀後半から、香港も十九世紀中葉から約百五十年前後、いずれもイギリスの支配下に置かれた。
 翌朝、ジョージタウンの中心街を歩く。イスラムの響きがするマスジッド・カピタン・クリン通りの入り口には、アジア最古のイギリス国教会セントジョージ教会の尖塔が見える。脇にはポルトガル人が建立したカソリックの教会、少し歩くと中国・福建人、広東人が建てた観音寺、その向こうにこの国最大のモスクの一つカピタン・クリン・モスクと、印僑の寺マハー・マリアン寺院(ヒンドゥ教)が仲良く軒を連ねる。郊外で、中国様式とタイ、ミャンマー様式を折衷したワット・チャヤマンカララーム(寝釈迦寺)を見つけた。ヒンドゥ寺院の影響か、極彩色のレリーフがとても印象的だ。街の南に中国儒教寺院「ヘビ寺」、シーク教の寺もあった。なんという宗教の混交だろう。迷路のような路地裏に、キリスト教、イスラム教の神、仏菩薩に儒教、道教、インドの古神もいらっしゃる。大英帝国の庇護の元、それぞれがそれぞれの信仰を胸に、西洋、アラブ、中国の商人が集い、貧困と紛争から逃れてきた中国人、インド人もいた。この街は世界宗教のパンテオンだ。
 東方の諸宗教には中心がない。関係の網の目のみ存在する。アジア諸国の仏教は、在来の神を尊敬しその上に接ぎ木して繁栄した。アジアの多神教の原理は、対立を包摂し融合させた。釈尊もジャイナ教の教祖も、ヒンドゥー教徒にとっては、その聖者の一人に数えられた。タイの民衆は悪霊神ピー信仰と仏教を同時に受け入れる。ミャンマー人にとってのナッ神信仰だって同じだ。極東の日本では、八幡神はいつの間にか、菩薩の一員としてあがめられ、インド古代の神は祇園信仰の古層に健在である。実は一神教のキリスト教、イスラム教だって、聖母信仰をはじめ、土地の精霊たち、小さな神々を取りこんで発展してきた歴史を持つ。
 「『民族浄化』といい、『文明の衝突』といい、現代は宗教間の差異を強調しすぎではないか」と、自転車の前に二人分の座席を設けた人力車に乗りながら思う。狭い路地をスカーフのマレー人女性にサリー姿のインド人、中国、日本のビジネスマンも、等しく行き交うアジアのこの街で「ほら、宗教も諸民族も、充分に共生しているではないか」と、考えた。
《巡礼メモ》
 日本からの直行便はなく、首都クアラルンプール経由が便利。国内線は一日十五〜二十便。陸路の場合は、首都から所要時間七時間。ペナン島対岸のバターワースで下車し、フェリーで島に渡るのも楽しい(所要時間十五分)
如是我訪─アジア古寺巡礼 第二十九話
●タ・プローム遺跡
(カンボジア・シムレアップ)

 古寺タ・プロームは哀しい遺跡である。遺跡に詣でる密やかな愉しみは、その建造物が創建された往事をしのび、王権の強大なること、文明のきらびやかなること、信仰の確固たることを、残された痕跡から想像することである。建立され、異民族から破壊され、また再建され、そしてジャングルや砂漠に沈み、再発見されて修復される。地球上に残る偉大な遺跡の大半は、こうした歴史を秘める。古寺巡礼の愉楽は、遺された痕跡を観察し、イメージを再現するパズルの楽しみに似ている。
 タ・プロームは、アジアの大遺跡アンコール・ワット、アンコール・トムの脇にあって、遺跡に襲いかかる自然の猛威を、実感するため意図的に放っておかれた古寺である。東西一キロ、南北六百メートルという広大な敷地、一歩足を踏み入れると、巨大な榕樹(スポアン)が、遺跡に襲いかかっている。ある時は大蛇のように、また龍のように古寺の屋根をうがち、基礎をえぐり取っている。太いロープのようなツタ(蔦)が、蜘蛛の糸のように塔といわず壁といわずはい回り、岩石を絡め取っている。ここでは、創建された八百年前を想念しようとする意志など、完膚無きまでにたたきのめされる。アンコール朝最盛期の仏教王ジャヤヴァルマン七世(一一八一年即位)が創建したこの寺は、碑文によると当時、高僧十八人、僧二千七百四十人、小僧二千二百人あまり、舞姫六百十五人もの人が祈りを繰り返したという。八百年の歳月を経て、膨大な瓦礫と化した。自然の前にあって文明などはかないものだと思い知らされるだけである。
 二度目のアンコール詣では、再び隣国ベトナム・ホーチミンからバスと船を乗り継いで行った。カンボジアに平和の戻った九四年、ベトナムから政府系の無愛想なバスで、首都プノンペンまで十二時間かかって国境を越えた。今回はトイレ付きの豪華バス、七時間で到着した。国境には、ベトナム人のためのカジノが建っていた。首都の喧噪は相変わらずだ。前回、白いペイントを施した国連軍、国際組織の自動車ばかりが目立った。今回は地元の裕福な商人が車を乗り回すまでになっている。地雷によって足を喪った物乞いを何度も見かける。首都からは高速船だ。アンコールの街シムレアップまで八時間かかる。メコンの支流を遡航し、トンレサップ湖を横断する。
 アンコール朝の王都は、このメコンの恵みによって繁栄した。南シナ海からメコンを遡り船が着く。王朝最盛期の十二世紀、アンコールワットやタ・プロームが建設され、東の中華・宋帝国、西のイスラム王朝と比肩する勢力を持った。広大な人工湖を作ったアンコールは水利灌漑都市として繁栄の極みにあった。
 九三年の平和協定成立から十数年、久しぶりのシムレアップの街は、世界中から観光客を呼び込み繁栄を謳歌していた。五つ星の外資ホテルが建ち並び、平和の配当を享受していた。発掘された美術品などを展示する国立博物館も建設中だ。人々は古代王朝アンコールの恩恵にあずかっていた。タ・プロームに詣でた帰り、夕暮れに遺跡全体を見渡せる丘に登った。夕日の沈む西側のジャングルは、かつて狂気の政権クメール・ルージュが最後に支配した土地だ。今も放置されたままの地雷が残る。そして今また、遺跡群のあちこちでは、日米欧の研究チームによる修復工事が本格化していた。
《巡礼メモ》
 遺跡観光基地シムレアップには、バンコクから格安航空会社が毎日、7〜9便就航。首都プノンペンからは毎日5便。いずれも1時間前後で着く。成田からも近年、直行チャーター機が飛ぶようになった。

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