専称寺ご案内
寺だより「MOYAi」
ギャラリー三蔵堂
オフィス三蔵堂
専称寺墓地・納骨堂「光明殿」
永代供養墓「菩提樹陵」
お寺アクセス
お問い合わせは、mail@senshoji.jp へ
専称寺トップへ
www.senshoji.jp

寺だより「MOYAi」
@TEMPLEアーカイブ
如是我訪アーカイブ

如是我訪アーカイブ
 如是我訪−アジア古寺巡礼というタイトルで季刊「かるな」(浄土宗出版室刊)に連載し、それをお寺新聞「MOYAi」に転載しています。
prev prev   next
如是我訪─アジア古寺巡礼 第十三話
●仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ)
(キャンディ・スリランカ)

 巡礼とは、よみがえりと新しいいのちへの旅である。罪を懺悔し、苦悩を伴った旅が成就した時に初めて、願がかなう。四国のお遍路さんは、お大師さまとの《同行二人》の旅路だ。アジアの巡礼はさしずめ、お釈迦さまとの二人旅。釈尊に導かれ、仏教二千五百年の時の流れを自らの肌と足で感じ、祈りのなかに再生を求める濃密な時間なのだ。
 スリランカへ行こう、そう思った時が最も充実している時かもしれない。ガイドブックを買い、旅行代理店、インターネットで情報を集める。フライトは、食事は、そして巡礼先・仏歯寺へのアクセスは? この国は長く内戦に苦しんでいる。危険情報も必要だ。
 グループではなく独りで行こう。語学が少々できなくともアジアでも十分に旅ができる環境が整ってきた。幸いビザは不要、この国第一の都コロンボまで成田から直行便があった。所要時間九時間。代理店で往復の航空券と初日一泊だけのホテルを手配し、パスポートと最低限の荷物だけ持って出発だ。午後一時に日本を発つと現地時間夜八時には、首都北にある国際空港に降り立つことができる。
 外国体験は、飛行機を降り立った時から始まる。光も空気もにおいも違う。当座のお金を両替し、空港から荷物を背負って外へ出る。物乞いの人、好奇心旺盛な目、目、目、潮の香りとスパイスの匂いがぷーんと流れる。タクシーの客引きを払いのけ、バスで街へ出た。ねっとりとした夜の闇の向こうにアジアの喧噪が広がる。
 この国は原始仏教の姿を最もよく伝える。釈尊の時代からそう遠くない頃、仏教が伝わった。東南アジアに広がる上座部(南伝)仏教の故郷だ。翌朝、その信仰の中核・仏陀の歯を祀る仏歯寺をめざす。苦労して中央バスターミナルを探し出した。バスはすぐ見つかった。エアコンがきいたバスで古都キャンディへ二時間半。朝の光のなか、海沿いを走り山に入る。丘陵部にはセイロンティーとして有名な茶園が広がる。
 キャンディは、一五世紀から三百年続いた古都だ。標高三百メートルの小さな盆地、旧王宮を中心に人工湖の周りの斜面に、街が広がる。オートリキシャ(三輪自動車)のタクシーを拾い宿を探す。シングル一泊朝食付きで八百〜千円も出せば、瀟洒なコロニアルスタイルのゲストハウスが多数ある。穏和なこの国の住民(シンハリ人)に魅せられたのか、ストレスのたまるインド亜大陸の旅で疲れた体とこころを休め長居する欧米や日韓、香港などアジアの若い旅行者を多数見かけた。
 街の屋台でお昼を済まし、バザールの店をのぞきながら仏歯寺へと出る。お昼の法要が終わってやっと中へ入ることができた。ごった返す人の渦の流れに従う。仏陀の歯を納める厨子を、人の背中越しにどうにか拝むことができた。厨子の中の奥深くに信仰を集め四世紀にはこの国に請来された仏陀の犬歯が納められるという。頭を深く垂れ、手を合わせる人そして人、そしてその熱気、涙を流している人がいた。
 何日かこの街に居ようと思う。ポロンナルワなど古代仏教遺跡も歩こうかと思う。危険地帯に迷い込まない限り、難しい旅ではない。まだまだ有り余る珠玉の時間がある。
南伝仏教
 インドガンジス川流域の仏教発祥の地から、インドの古代語パーリー語経典をもとにBC三世紀スリランカへ伝えられ、後にタイ、ビルマ、カンボジア、ラオスなどへ伝わった仏教。お釈迦さま一仏を祈りの対象とする。これに対し、サンスクリット語の経典によってパミール高原を越え中央アジアを経て中国、朝鮮半島、そして日本へ伝えられたのが北伝仏教と呼ばれる。かつて北伝仏教の側から「大乗仏教」「小乗仏教」と表現されたが、現在では上座部仏教(南伝仏教)と表記されることが多い。スリランカでは一度、ヒンドゥ教、密教などに席巻されたが、一二世紀に復活した。
 僧侶は厳格な出家の戒律があり、森のなかの寺で集団生活を営むほか、家々で様々な悪魔払いなど精霊信仰の儀礼をも担う。
《巡礼メモ》
 成田発直行便の他、地方からもバンコクなど乗り換え便がある。平成15年末現在、民族紛争で最北部の都市ジャフナー一帯は外務省から渡航中止の勧告が出ている。キャンディへはバス、鉄道とも充実している。
如是我訪─アジア古寺巡礼 第十二話
●スワヤンブーナート
(カトマンズ・ネパール)

 ネパールの首都カトマンズには、等身大の国際性がある。異質なものをそのまま受け入れてしまう寛容さ、柔軟さがある。中国・チベット文化圏とインド世界、巨大な二つの文化に挟まれた小さな王国が独自性を維持するための智慧なのだろうか。
 カトマンズ最大のの繁華街タメル地区を歩いてみよう。中世そのものの煉瓦作りの家と狭い路地、ヒンドゥー教の小さな祠と行者の横を、肌もあらわなヨーロッパの旅行者が闊歩する。小さな仏塔の脇では、チベット僧が経典を読み、ヒマラヤのトレッキングに来た日本人が装備の調達に歩いている。インドのカレーとチャイを出す店、納豆定食もある日本食堂、ダルバートと呼ばれるネパール豆料理屋、スパゲッティ屋も悪い味ではない。レゲエやひと昔前のハードロックが聞こえるチベット酒チャンと塩味のバター茶を出すチベッタン食堂もあった。
 ネパールは憲法にヒンドゥー王国と規定されるヒンドゥー教国家だ。ヒンドゥー教徒が人口の九割を超す。仏教徒は五パーセント程度だ。母なる川ガンジス、その上流にヒンドゥー寺院があり、そこで遺体を火葬して遺骨を川へ流す。しかし、その割には仏教寺院がとても多い。首都郊外の古都パタンは仏教寺院だらけだ。世界最大の仏塔とされるボダナート周辺には、小豆色の衣をまとったチベット僧も多く、上座部仏教の黄色い衣の僧侶も見かける。
 スワヤンブーナートは、ネパール仏教(ネワール族の仏教という意味でネワール仏教と表現されることもある)最高の聖地である。首都の小高い丘の上に建地、街のどこからでも見通せる。野猿が出没する正面の長い階段を上がると、目玉が描かれた巨大な仏塔がそびえる。仏塔は、西暦五世紀の銘文もあるこの国最古の遺跡でもある。塔の周りには大乗仏教系の阿弥陀、大日、宝生、阿しゅく、不空成就など五如来の祠だけでなく、ヒンドゥー教に起源を持つ神々をも祀る。ヒンドゥー教の影響が強い密教であるネパール仏教の教義を象徴する。よく見ると、その仏塔の周りには、チベット仏教各派の寺院が取り囲み、さらに奥には上座部仏教の寺もある。ネパール仏教の聖地にチベット仏教やインド起源の上座部仏教寺院の共存を許すカトマンズ盆地の人々の柔らかな精神構造の反映がそこにある。
 不思議なことに、この国ではネパール仏教の僧侶なるものに出会うことがない。ヒンドゥー教の行者やチベット仏教の僧侶には会うことがあっても、この国固有の仏教僧に出会わない。実はこの国の仏教はヒンドゥー教の影響でカースト制度を受け入れ在家化して、出家者はいない。儀式を司る司祭は一定のカースト出身しかなれず、剃髪も出家もしない。結婚し一般家庭にすみ、飲酒肉食自由である。仏教僧に出会わないのではなく、それとは分からないだけなのだ。
 日本人が結婚式を神式で、葬儀を仏式で行うことに何ら不思議を感じないと同様、ネパール仏教徒もまた、ヒンズー教、仏教双方の儀礼で祈り、双方の司祭に儀式を依頼することにも矛盾が無い。異質なものの矛盾無き同居、日本人がインドから国境越えでこの国にはいると、一様にどこかホッとし、カトマンズの街の国際性に安堵するのも案外この辺に原因があるのかもしれない。
ムスタン王国
 ネパールは山岳民族の集合体である。首都カトマンズ、観光都市ポカラ以外は、小さな集落が山間部に点在する。一般的に標高三千メートルを境に、ヒンドゥー教、ネパール仏教からチベット仏教の影響下となる。
 アンナプルナなど名峰が連なる西ネパールの巨大渓谷カリガンダキを遡った所に仏教聖地ムスタンがある。下部ムスタンの聖地ムクティナートは巡礼者が多い。ポカラから徒歩で平均十日の位置にある。さらにそこから徒歩で三日、十八世紀まで独立国家だった仏教王国ムスタンの首都ローモンタン(標高三七六〇?)にたどり着く。
 現王は政治的実権こそないが、宗教的、文化的影響力は依然強いものがある。長らく外国人には入域拒否を貫き禁断の王国と言われたが数年前から外国人にも開放された。
《巡礼メモ》
 カトマンズへは、関西空港から週二便、直行便が飛ぶ(ロイヤル・ネパール航空)。また、バンコク、シンガポールなどでの乗り継ぎも便利。市内には多くの宿泊施設があり、観光地も非常に多い。
如是我訪─アジア古寺巡礼 第十一話
●崇聖寺三塔
(大理市・中国雲南省)

 十五年以上前のことだ。西南中国四川省の都市成都から雲南省の小数民族の町大理を目指した。ニワトリや豚、タンス、長持の類も一緒、定員四人のボックスに十二人いる混乱・成昆鉄道硬座(二等車)で二十六時間。一睡も出来ず雲南省の省都昆明に降りた。バスで高原の悪路を十時間と三十分、どうにかこの街に着いた。とても体が痛む。
 漢民族の版図を離れたことが分かる。唐代・南詔国の首都、家も服も違う。煉瓦作りから木の家が増えた。白や原色の民族衣装の人々もいる。古城には南北の城楼門や条里制がそのまま残る。道の側溝には清冽な水が流れる。泊まりは古代の城郭のなかにある安ホテル「大理第二招待所」、ここには日欧豪あたり、それに香港のバックパッカーが四十人はいるだろうか、一ヶ月以上の長逗留組も多そうだ。晩秋、高原の冷気が心地いい。旅装を解き久しぶりにくつろぐ。
 翌朝、レンタサイクルを借りて中国の代表的な層塔である崇聖寺の三塔に参る。中にそびえるのが「千尋塔」と呼ばれる仏塔である。中心部が優美にふくらんだ十六層の四角形、白亜の建築だ。高さは七十メートルを超える。近寄ると、想像以上に高く、精密にできていることが分かる。
 仏教文化の花が咲いた中国古代の地方政権南詔国。玄宗皇帝・大唐帝国との戦い、そして楊貴妃との悲恋は白居易の「長恨歌」に詳しい。戦乱をくぐり抜け繁栄の時代を迎えて、この千尋塔が唐代末八三六年に建立された。後に南詔国の版図を受け継いだ大理国の時代、十世紀になり多くの仏塔と共に残り二つの仏塔も建てられた。大理古城は、元朝フビライに襲撃を受けるまで三百十年間、二十二代にわたり雲南地方の中心として栄え、「楪楡(ようゆ、大理の別名)三百六十寺、寺々夜半皆鳴鐘」と詠まれた。
 三塔の向こう側の空が、異様なほど青く澄みきっている。そのまま宇宙に繋がっていると実感できるほど蒼い。四千百メートルを最高峰に三千五百メートル級の山々が、塔の向こう側、湖の対岸に連なる。山に緑がない。赤い岩が露出している。湖の方に自転車を走らせた。坂を下る。白い息を吐きながら、どんどん駆け下る。湖の名は■海。水の色が紫色に映える。その色が目にいたい。港に船が着いていた。原色の髪飾りをつけた白(ぺー)族若い女性が数人、降りてきた。
 蒼い空、赤い山、紫の湖、そして民族衣装の女たち、突然ふと夢幻の別世界に来てしまったのではないかという思いに駆られる。風景も人も違う世界に迷い込んだ不安、地面に足がついていずどこかぶよぶよとしたものの上を独り歩いているような感覚、日本から遙か遠くに来てしまったという焦燥、一瞬のうちにそんな思いがよぎった。
 「不安」は信仰に似ていると思う。居心地のよくない感覚に浸りながら独りたたずみ、そして何か美しいものにひかれる。遠くにある異様に美しいもの、■海の空と水の美しさに、つい手を合わせる。玄奘三蔵、法顕、義浄ら古代中国の大旅行家・仏教僧らも、大自然に抱かれながら素敵な体験をたくさんしたのだろうなと思う。旅が激しければ激しいほど、不安も深く、同時に信仰のかたちも広がったのではないかと思う。

※■は「さんずい」に「耳」
中国仏教
 日本の仏教は、基本的には中国伝来の教えである。また東南アジアの上座部仏教、チベット仏教などと対比して、中国、朝鮮半島、そして日本の東アジア仏教は類縁性を持っている。しかし現代中国仏教を、日本の伝統仏教との類推で考えると、大きな間違いをすることがある。
 日本仏教は、古代中国仏教の影響で成立した。中国仏教は近世、特に明代で大きく変容した。基本的には、禅、浄土の教えが主流だが、道教ほか様々の民間信仰の影響もことのほか強い。近代の共産党支配で打撃を受けたものの、十年ほど前から、大陸では仏教ブーム、禅ブームが巻き起こっている。大女優・鞏俐(コン・リー)が寺で本格的に禅修行するなど、知識層にも、文革の反動からか強い影響力を持つようになった。都市、地方を問わず様々な寺で、公による修復工事も続いている。
《巡礼メモ》
 成田からは週2便、省都昆明まで直行便が就航中。他に上海、ソウル、香港などを経由する。昆明〜大理は毎日5便以上就航。バスでも現在は5時間程度で到着する。近年、鉄道も開通、一日一便運行。

Copylight(c) 2003 HOHNEN BUDDHISM SENSHOJI TEMPLE, SHUNKAI KAWASOE. All rights reserved.