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寺だより「MOYAi」
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●家族の復権

 伝統的な家族像が崩壊している。国の調査によると2人世帯が4分の1を超えた(厚労省調べ)。次いで単独世帯、3人世帯と続く。3世代世帯は1割を切った。結婚しない人も急増している。先の国勢調査速報では、30代前半男性の未婚率が42%を超えた。経済指標として話題の合計特殊出生率1.29(女性が生涯に出産する子どもの数)は、国力だけの問題ではない。離婚率も減らず、家族が個室にこもり、「個室」化の様相を深める◆子どもが子どもを殺す事件が後を絶たない。自殺者数も年間3万人を超え戦後最大だ。家族は生命の下支えの場所ではなかったか。「殺してはいけない」という真理を教える場も、「あなた、死んではいけない」という命への呼びかけの行為も元来、食を共にする家族の根元的な機能ではないか◆命のつながりを確認する装置が仏壇だ。祈りをつうじて、与えられた「いのち」を再確認する。家族の復権はここにあると思う。
(住職・川副春海)vol.35掲載
●伝統のちから

 日本古来の焼き物の意匠、織物の色とデザイン、地域の祭の進行と人々の昂揚感……、この国長くに伝わった伝統の力をしみじみと感じることがある。仏教の世界でも同じである。念仏だけでなく、禅も密教もその教団が数百年の間、洗練し鍛え上げた修行や儀式の方法がある。念仏を唱え唱えて、念仏者になり、禅修行のうちに禅僧になる。古来からの作法をそのままに繰り返しているうちに、知らず知らず内実が伴ってくる◆大法要「五重相伝会」が寺にやってくる。この儀式のかたちが成立したのは一三九三年(明徳四年)、僧侶を対象に行われたのが最初である。江戸時代には関東で庶民を対象に広がった。現在、年間、全国で数百の寺でこの行事がつとまる◆「五重」の間、寺は最も寺らしくなる。凛とした緊張感。僧侶も入行者も数百年来の作法のなかに共に念仏のありがたさを味わう一瞬である。是非、あなたと共に感動を味わいたいものである。
(住職・川副春海)vol.34掲載
●森の共生

 「すべての宗教の根本となるものは、言葉を慎むこと。すなわち、もっぱら自己の宗教を賞揚したり、他の宗教を非難しないこと、それぞれの機会において穏和であるべきことである。それだからこそ、各自は互いにそれぞれの仕方によって、他の宗教を尊敬すべきである」〈アショカ王柱・摩崖詔勅 BC250頃〉年賀状にここ十年ほど、仏典からことばを引用して、年の始めのご挨拶としている。来年の年賀状は、この句を使わせて頂いた。遙か昔二千年以上前、仏教の守護者アショカ王のことばである◆9/11のテロ以来、宗教に名を借りた暴力が目立つ。キリスト教では、宗教間の暴力と殺戮の歴史から「宗教的寛容」の思想を一七世紀になって初めて打ち立てた。しかし今、その原則は果たして守られているのだろうか◆多様性そのものである森の思索から生まれた仏教は、宗教的穏和さを基調音としている。縁のなかの「共生」をうたう仏教に明確な平和のメッセージを見いだすのだが
(住職・川副春海)vol.33掲載
●「孤食」

 家族の縁がばらばらになっている。独りで食事をとる子供たちが増えた。孤食という現象だ。未婚率、離婚率ともじわじわと上がっている。今、三〇代前半の独身男性は、同世代の五割近い。ある国立研究所によると「十五年後には全所帯数の三分の一近くが、一人所帯になり、離婚などによる親子一人ずつの一人親世帯が十軒に一軒まで増える」という衝撃的な予測も発表されている◆お仏壇も、お墓も家族が共に在ったことの証しではないかと思う。仏壇に祀られる御先祖がいたから、私がいる。私が生きているから、子供たちがある。家族もお墓も仏壇も、「無縁」にしてはいけない◆このまま放っておけば、孤食化、シングル化の様相は深まる。まず、意図して共に食事をとることを努力してはどうか。お盆にお彼岸、家族そろってお墓にお参りされたらどうだろう。朝起きて真っ先にお仏壇に手を合わせる習慣をつけたらどうだろう。そこに家族の復権の端緒があると思う。
(住職・川副春海)vol.32掲載
●砂漠の戦争

 砂漠で戦争が始まった。中東の砂漠はいうまでもなく、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教が生まれた土地だ。三つの宗教、いずれも唯一絶対の世界の創造主・神という実在を前提とする。アダムとイブという創世神話も共有するいわば兄弟ともいうべき宗教だ。旧約聖書のほとんどの内容は、三つの宗教は共有する。信じるもの、信じないものを峻別し、「あれかこれか」の選択を人に求める◆アメリカ大統領は、この戦争を三つの宗教で争う「文明の衝突」であることを頑強に否定した。が、それは多民族国家の建前からの発言なのだ◆仏教は釈尊の森での思索から始まった。水と太陽と緑、多様性そのものの密林と、苛烈な気候で単一性が支配する砂漠。世界史の中で仏教を背景に大規模な戦争が起きたことはない。仏教は物事の多様さを許すからだ。他の宗教との混交さえゆるす融通無碍さを仏教は持つ。平和な教えとしての仏教、それが私たちの宗教だ。
(住職・川副春海)vol.31掲載
●「人生の店じまい」

 年末から佐賀市の生涯学習センター・アバンセで「人生の店じまい」と題し公開講座を開いている。僧侶や医師、大学教授らに連続講義をお願いして、友人とともに主催した。最初、「死ぬこと」についてのセミナーに、一般の方々は尻込みして出席は少ないだろうと思っていた。しかし地元の新聞記事で紹介していただいたのが影響したのか、予想を遙かに上回る方々が熱心に講義を聴いてくださる◆高齢社会の進行で、定年後二十年近く静かにやってくる「老い」のときを過ごす時代だ。すべての人に等しくやってくる「死」を、じっくりと考えようという人々が増えたのだろうか。それとも身近なものの介護や自らの病などを前にして、「死」の実相について思いをはせる人が増えたのか◆二月七日には、講義の総集編として僧侶玄侑宗久さん、作家井上治代さんをお呼びしてシンポジウムを開く。お寺の法話とちょっと違った会、ご参加されてはどうだろう。
(住職・川副春海)vol.30掲載
●「門を開く」

 12日に開催していただく新住職就任の式典「晋山式」のなかに「開門式」というものがある。新しい住職が寺に入るということを象徴的に表現する儀式である。門の外はいわば「世間」で、門を入ると寺である。式は、寺の外からお寺に入るという意味合いを表す◆住職就任に際し、寺の門をこの世の中に常に広く開け放していたいと願う。檀信徒の方々はもちろんのこと、地域の人々や仏像に手をあわせに立ち寄られた人、寺のギャラリーを訪れた方ら、あらゆる人に門をあけたい◆それだけでなく、お寺からも様々な情報を包み隠すことなく開いていきたい。今風なことばでいうと「公開」と「共有」。それによってのみ、人と人とのこころの縁が確かなものになる。その道具の一つが、この寺だより「MOYAi」でもある。これから少しずつ、寺を開き、門を開け放つかたちを整えていきたい、そう思っている。
(住職・川副春海)vol.29掲載
●「MOYAi」

 「寺だより」の紙面を新しくさせていただいた。新しい名前は「MOYAi(もやい)」。辞書によると「他の人と共同して、物事を行うこと。二人以上の人がいっしょに事を行うこと。その組織」とある。お寺は「縁の場」だと思う。お互いに縁あるものどうし、出会い、協力しそして、共に生きていることを実感する場、さらには「死」という縁あるものの別れの場、しかし人の死によっても縁は繋がっていると実感する祈りの場所、そんなところがお寺だと思う。◆自己実現のための競争、闘争も必要だ。しかし実は、うち負かされるべき他人も、縁によって深くお互いに繋がっていたということを実感することがあるだろう。この世界は人と共に生きる場、みどりや自然と共に生きている場である。◆佐賀の言葉で「おもやい」とは人と物を分かち合うという意味である。専称寺が、そしてこの寺だよりがそんな想いをつなぎ合う場になれば幸いだと思う。
(住職・川副春海)vol.28掲載

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