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●「麦秋」

 久しぶりに小津安二郎監督の名作「麦秋」を見た。昭和二十六年の封切り作品、とても美しい日本の家族があり、原節子の圧倒的な美を感じた◆小津映画の真骨頂は「日本の家族の崩壊に対する諦念と、死の表現」、この二つだとよくいわれる。実は人の死を支えたのも、日本の家族制度を包み込んできたのも、伝統仏教だと思う。「信じれば利益がある」などという宗教ではない。人の死は実は自然で、死は不幸ではないということを教え、先祖を祀ることにより「家族はあなたの生きる基本ですよ」と教えてきたのが浄土宗をはじめとする日本仏教だった◆信仰は親から子に伝わるものだ。親が毎朝、仏壇に手を合わせ、彼岸や盆にお墓参りをする。だからこそ子どもにその心が伝わる。宗教的な感覚は、教科書で教わるものではない。知恵によって知るものではない。行いによってのみ、伝わるものだと思う。親の背中に学ぶものだと思う。
(住職・川副春海)vol.38掲載
●家族の宗教

 五十歳以上の老壮世代の定点観測を続けている博報堂生活総研「HOPEレポート」は、「カギとなる人間関係は『家族』が一番」と報告する。中高年世代にとって「楽しみとなる関係」は順に、自分の子ども、配偶者、兄弟(姉妹)、孫と続く。つながりたい人間は、決して家族外にはない。家族が拡散しようと縮小しようと、いやそうであるからこそ、伝統的な家庭に居場所を求める意識が強まっているのではと思う◆葬儀、年忌の供養をはじめ、お盆、お彼岸など仏教の儀礼は、本質的に家族の儀式である。子供から孤立して住む高齢者が多い現在、一族再会の場、そして亡くなった家のホトケたちに出会う場が、法事や仏教儀礼の場だと思う◆まもなくお盆がやってくる。故郷に帰ろうと、海外で休暇を過ごそうと、自らが生きて過ごす場所(=家族)についてゆっくり考えていただけたらと思う。もしできるならば、仏壇の前で手を合わせて「南無阿弥陀仏」と口に出しながら
(住職・川副春海)vol.38掲載


 この国では二人家族が主流になった。社会の便利さが飛躍的に向上し「結婚する意味が薄れた」という意識が若い人にはびこっている。「非婚時代」「家族の個室化」といわれるゆえんだ。確かに周りに子どもが少なくなった。離婚する人が増え、親と同居する人は少なくなった。家族とは何だろうか?◆専称寺では毎年、約百五十〜二百件程度の年忌供養を執行させていただいている。ご先祖、特にご両親の一周忌、三回忌などの法事である。大半の方々が、命日には一族再会を果たし、お位牌に手を合わせ香を焚く◆縮小する家族という時代の趨勢のなかで、一族が集う先祖供養は結婚式、正月行事とともに最後の家族が家族であるよりどころではないか。これら儀礼のシステムが瓦解したら、どうなるのだろう。人は本当に縁ある者なしに一人だけで生きていけるのだろうか。独りで死ぬ苦しみを和らげてくれるのは縁の深い人だけだと思う。
(住職・川副春海)vol.38掲載
●ホトケはいる

 終末期医療など現代医療のタブーをつく漫画「ブラックジャックによろしく」(佐藤秀峰著)が、広範な若者に支持されている。主人公の若い研修医は、末期ガン患者を前にこう叫ぶ。「死とは一体なんですか?死とは敗北ですか? 死とは不幸で否定されるものでしかないのですか?」。抗ガン剤治療などぎりぎりの選択を続けながら研修医は死と共存する医療、ホスピス(ビハーラ)など終末期の死の痛みを緩和するケア病棟を指向する。「生と向き合う事は死と向き合う事と同じ事ではないですか」「私たちは誰も独りなんかじゃない」と叫ぶ◆死は不幸でも敗北でも絶望でもない。死はすべての人に等しく訪れる。人は生まれるときは幸福で、死ぬときは不幸だというのか、絶望だというのか。そうではない◆終末期の痛みを耐え、最期を迎え人は穏やかな顔になる。人は豊かな来世に向かって往くのだ。それが浄土教の教えだ。念仏の教えだ。
(住職・川副春海)vol.37掲載
●五つの蓋

 お釈迦様の言葉に「五つの蓋(おおい)」というたとえがある。人間の心と体をむしばむ煩悩は?欲望深くむさぼること?他人に怒りを表すこと?おろかさ、この三つ(三毒)だが、さらに加えて五つの心を覆う蓋(ふた)として「むさぼり/怒り/鬱屈・ふさぎこみ/落ち着かずそわそわすること/疑心暗鬼」と表現しておられる◆この五つを見てハッとした。現代の病める子供たちの姿ではないのか。ちょっとしたことにすぐ腹を立て、人を疑い、キョロキョロと落ち着かず、怒り狂って犯罪を犯してしまう◆人は、煩悩があるからこそ、「助けててください」と仏さまに手を合わせる。煩悩に気付いているから、うまく心の暗い部分と共存しようと知恵を働かせる。しかし、バブル崩壊以降にテレビで報道される子供たちの犯罪は、心に蓋をして、外部との共感を失ってしまったせいではないのか。心を開いて煩悩を見据える。仏教は苦を知ることから始まる。
(住職・川副春海)vol.36掲載

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