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寺だより「MOYAi」
@TEMPLEアーカイブ
如是我訪アーカイブ

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●孟宗竹とカブトムシ

 平成17年の台風で寺の大木が何本も倒れた。翌年、倒れた場所にカツラ(桂)、ブナ、コナラ(木楢)、クヌギ(櫟)、カシワ(柏)、ヤマザクラなど落葉樹を植えた。そのとき、はびこる孟宗竹を切り大量にチップ状に加工して、林に蒔いた◆それからまだ2年ちょっと、ことし春にタケノコを掘ろうと林に入り、落ち葉やたい肥になった孟宗竹のチップをかき分けると、なにやら白い虫が沢山、うごめいている。半端な数じゃない。10センチ四方に平均5匹近くはいる。カブトムシの幼虫だ。幸いカブトムシの好物、クヌギ、コナラ(ドングリ)の木も成長している◆寺の林の小自然、多久でもほとんど見ることがなくなったカブトムシが、再生してくれればいいが…。天敵のモグラや数多くやってくる野鳥などに食い荒らされなければいいが…。そんな思いで毎日、犬を連れて林を歩いている。決して思い通りにならない自然だが、たまに小さなプレゼントをしてくれる。ふ化の時を待ちたい。
(住職・川副春海)vol.50掲載
●殺してはならないU

 前号@temple欄に、ミャンマーの市民、僧侶に対する弾圧に際し「殺してはならない」というお釈迦様の言葉を引用して書いた◆今度は中国がもっとたちの悪い殺りくを、チベットの人々に対し行っている。中国共産党は、一九五九年に「解放」と称して、チベットを占領して以来、一説には百二十万人のチベット人を虐殺したという。今回も非暴力を標榜するダライ・ラマ法王とその亡命政府を「暴動」の煽動者として非難するだけで、海外マスコミをシャットアウトして、中国各地で弾圧を繰り返している。ひどい国だ◆ある研究者は「チベット人は軍事力にも社会主義思想にも従わない。チベット文明はこれまで、他者をとりこにすることはあっても、自分が他者の精神文明に同化した例は一度もないのだ。社会主義のような底のあさいガサツな思想で、ソフィスティヶートされたダライラマの仏教思想を洗脳することは不可能なのである」(石濱裕美子)と書いた。むべなるかな、である。
(住職・川副春海)vol.49掲載
●殺してはならない

 ミャンマーには3度訪れた。最初は2週間ほどふらりと。次からは、ある団体のお手伝いで、小さな学校を建設するために。どこでも朝早く托鉢する僧侶の隊列を見ることが出来る。男性は小豆色の僧衣、女性は薄いピンク色の衣で、手にした鉄鉢に熱いご飯を頂いて回り、人々は合掌でこれを迎える。東南アジアでも最も熱心な仏教国だ◆その国で、仏法に則り、平和を祈りながら僧侶が市民と共に圧政に抗議して行進を始めた。先日から国際ニュースは、これを弾圧し、寺を破壊し僧侶を殺戮する軍政・治安部隊の姿を放映している。日本人ジャーナリストも殺された◆なんということだ。釈尊は「人はすべて暴力におびえる。すペての者にとって生命は愛しい。わが身にひきあてて殺してはならない。殺させてはならない」(法句経130)と説いた。この国の情況に深い憤りを覚える。共に平和を祈念しよう。市民に発砲し、仏法に背く政権は決して長く続かないはずだ。
(住職・川副春海)vol.48掲載
●お屋形の茶園

 近世・多久の殿様の邸宅があった付近を「お屋形」と呼ぶ。その場所に専称寺の茶園がある。数年前まで、祖母や母、地元の人々の奉仕でお茶を手摘みして、お寺で加工し利用していた。ここは遠い昔、殿様が京都の宇治から苗を請来し植えた多久藩のお茶園だった◆今、ここが地元の小学校のお茶園として活用されている。お寺は数年前、お茶園の維持が難しくなり、製茶業者に管理を委託した。知人の農家が実際に剪定、施肥などにあたる。お茶摘みは、小学生だ。茶葉は学校で提供されるだけでなく、市や市教委、他の学校、関係者に贈られる。ことしは夏に開催される全国高校総体の選手にも振る舞われるという(8p参照)◆実は、このお茶の生育、加工、分配の大半が無報酬なのだ。お寺も業者も農家も学校もすべて対価はない。殿様のお茶園を縁あるもので守り、様々な縁あるものに茶葉が贈与される。経済至上のこの社会に、お寺の周りにはこうした少さな共同性が存在する。
(住職・川副春海)vol.47掲載
●創建1200年

 専称寺には「御家中寺社家由緒書」と題された古文書が伝えられている。江戸期に多久の領主へ寺社が提出した由緒書をまとめたものとされている。そこに専称寺の創建が平安時代初期「大同二年」とある。下多久・平瀬(現南多久町)に創建された。西暦で言うと八〇七年、桓武天皇が崩御し、最澄が天台宗を開いた年の翌年、この年には空海・弘法大師が中国から帰国した。日本中世幕開けのころだ。まだ多久町は歴史に現れておらず、専称寺が現在地に移転したのは、12世紀になってからだ◆今年は、その年から数えて1200年になる。いやはや、大変な時を経た寺であると思う。寺には、平安末期の阿弥陀仏座像、一遍上人在住伝説、室町時代の大豪族少弐氏の切腹という史実、樹齢600年を超す大ツツジなど、歴史を物語るものが多い◆その寺に伝わる古文書が、歴史研究者の集まり「多久古文書の村」で編集・解題作業がほぼ終わったという。もし出版されたらこの寺を代々守った僧侶たちの墓前に捧げたいと思う。
(住職・川副春海)vol.46掲載

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